家庭教育支援協会
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ジグソーパズルのピース

 わたしたちは、既にあるものについて改めて考え直したり、疑問を呈することが苦手だ。既に存在するものは、合理的必然性があって生き残ってきたのだし、歴史の審判を潜り抜けてきたのだから尊重すべきだとして、それ以上考えようとしない。しかし、それは思考停止と言わざるを得ない。

たとえば、わたしたちにとってなじみ深い家族。その家族を包摂する家庭といえども常に、時の波に浚われてきた。そこで繰り広げられる「家庭教育とは何ですか」との問いに語る言説の多様性を前に、「何が家庭教育であるか」について答えることは困難でも「人は何を家庭教育と呼ぶか」との問いかけを通して、「家庭教育」という概念に「わたし」が託した価値や規範を明らかにすることができるだろう。

家庭教育は、それぞれの家庭で為されるものである以上、同じものなどありはしない。しかし、地下水脈を辿れば源泉に行き着くように、個々の家庭教育だけに回収されないあるいは、それを超えた家庭教育を逆説的ではあるが明らかにすることができる。
ある家庭では、子どもの安全を考えて親が学校の送り迎えをする場合もあるだろう。また別の家庭は、案じながらも子どもを一人で学校に通わせることを選択する時もあるだろう。どちらの親の行動が正しいだろう。というよりこの場合どちらが正しいか問うことができるのだろうか。子どもの幸せを願わない親はいない。だとすれば、子どもの身に危険が迫るのを防ぐために学校まで送っていく親は、子どもの幸せを願っているからそうするのだし、敢えて一人で行く道を選択した親も、同じ理由で子どもの自立のためにそうしたといえる。そうであるならば、どちらも正しいとなってしまい、問うことの意味がなくなってしまうのだろうか。

家庭教育においては、その場その場で、正しいか正しくないかを問うことにあまり拘り過ぎるとかえって子どもの成長を妨げてしまうことがあるような気がする。子どもの性格特性によっても親の取るべき行動は変わるし、また住んでいる環境によっても変わる。だから家庭教育に正解はないと言うつもりはない。幸せの形はさまざまでも、その家庭にあったやり方があるはずだ。

家庭教育を測るものさしは一つではない。

私たち家庭教育アドバイザーのできることは、その家庭が失くしたピースを一緒に探すことだ。そして、そのピースをはめ込み、しっかりした絆をつくるのは、他でもない、当事者にしかできないことなのだ。ピースが一つなければジグソーパズルは崩れてしまい完成しない。すべてのピースが揃うからジグソーパズルは互いに結ばれ崩れることはない。人間関係でも同じだ。絆は結ばれてこそ強くなる。

自分はなくてはならない存在だ、自分は大切にされているという思いを再認識させてくれる場所、それが家庭であり、そうできるのが家庭教育だ。
そして、私たち家庭教育アドバイザーの役割は、そう思えるようにそれぞれの家庭のピース探しの手伝いとそれをあるべき場所に戻すことではないだろうか。
2015年1月12日
家庭教育支援協会理事長。日本家庭教育学会常任理事。家庭教育アドバイザー。
家庭教育師。筑波大学大学院博士課程在籍。
二川早苗