家庭教育支援協会
トップページお問い合わせサイトマップ

コラム

  • 私たちの理念
  • わたしたちについて
  • お知らせ
  • 活動報告
  • これまでのあゆみ
  • これからの活動
  • 会報
  • コラム
  • リンク

がんばりすぎるひと

 様々な困難を抱えている人の話を聴いていくと、背景には子ども時代の報われない思いがあり、また虐待ともとれる経験をしていたり、「児童虐待の防止等に関する法律」(2000年11月)の施行以降なら児童虐待で保護されていてもおかしくなかったような体験をしてきていることも多い。そして児童虐待が広く認知されるようになり、自分が親から受けてきたことが虐待だったと気づいて苦しむ人も少なくない。そうすると大概その親も同じように虐待にあっていたという。彼らは自分がそこに存在することにも肯定感が持てず、自分の意志に自信がなく人の意見に従順すぎたり、逆に人のことが信用できず親身な言葉にも敏感に反応し反発してしまったりなど、常に生きにくさに曝されている。それが周囲を巻き込んで様々な困難を抱えてしまうように思える。
 困難はその人によって異なるし、同じことでも非常に難しく感じるひともあればまったく問題に感じない人もいる。違う問題になれば彼らは逆の反応をするかもしれない。それはその人の性格や特性にもよるだろうし、生きてきた形にもよるのかもしれない。

 怖がって、頑張りすぎて雁字搦めになっている。そんな人は、甘えを自分に許すことをしてほしい。誰かに頼って誰かに助けてもらうことを怖いとか恥ずかしいとか思わないで良いと思う。家族に頼れなければ先生でも友達でも良いし、カウンセラーや医師や行政でも良いだろう。自分の思いに正直になれば誰かが助けてくれる。甘えることを知らない人が誰かに甘えるのは、とても大変なことだと感じる。でも、何でもかんでも甘えるというのではなく、何か一つ甘えてみたら、意外と他のこともうまく回るようになることもある。
 私も親には子どもの頃から色々話をしても甘えるということができなかったが(親はそうは思わないかもしれないが)、社会に出てから大学に入学したのだが、生活費等に困って意を決して親に頼んだら、「お前も頼ることができるようになったんだなあ。」と言われ、「これで良いのか。」と気持ちが軽くなった経験がある。今も何でもは話したり甘えたりはできないが、それでもその経験があってからは、困りに困る前に親や友達に言ってみる、ということができるようになった気がする。
 すぐに甘えを受容してくれる人に巡り合えないかもしれないが、あなたの甘えを待っている人がいることを信じてほしい。甘える人を見つけられるまでに疲れてしまうかもしれないけれど、休めばよい。
 
 ただ、甘えることと甘ったれることは違うこと、独善的にならないことだけは意識しないといけない。間違ってしまったら、引き返してやり直すこともする。自分の問題は自分の問題として解決しようという気持ちを忘れなければ、一緒に悩んで助けてくれる人はいると信じてほしい。
 
2015年1月26日
家庭教育アドバイザー
ペンネーム えみこ