家庭教育支援協会
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ふるさと

 今我が家には段ボール箱がたくさんある。といってもまだ組み立ててもいない。真夏に引っ越しする人なんて少ないのかと思いきや、引っ越し屋さんによれば“春の7割くらいですかね。お子さんの長期休暇中に動く人は多いですよ”とのこと。
 実際我が家は10年前も同じことをした。夫の職場は4月転勤しかないが、ちょうど末っ子が生まれるタイミングだったのだ。そのため夫のみ先に行き、上の子たちは夏休みに幼稚園を転園することになった。
 10年たった今、上の子たちは中学生。それでも転勤について行くのかとさんざん周囲から言われた。5年前にも引越ししている。子どもの成長とともに荷造り等の物理的な大変さは減っていく(子どもも戦力になるから…とはいえ今回まだ何もしていない)。しかし10代ともなると子どもにも人間関係がしっかりできているわけで、それを断ち切らせることを納得させる大変さが新たに出てくる。
 今回も4月に夫だけ先に行った。長男の部活がキリになるまで待とうということで、私と子どもたちは残っていたのだ。子どもたちはもちろん転勤を嫌がった。でも前々からついて行くと言ってあったので、条件付きでOKしたような形だ。
 そのあたりは予想済みだが、ちょっと驚いたのが末っ子の発言。“私が大人になった時、どこに帰ればいいの?”と聞いてきたのだ。夫も私も生まれた家にまだ親が住んでいる。だから年に2回は帰省している。しかし自分にはそういう先がないというのが、末っ子の心配の種のようだ。
 実家といっても夫は大学入学時に一人暮らしを始めた。生まれた家を出てからの方がもう長い時間が経過している。だから私は今回も家族そろって転勤先に行こうと思うのだ。5人一緒に住める期間なんて実際あとわずかだ。そう説明して子どもたちも納得したのだ。
 とはいえ、私自身は大学時代も実家に住んでいた。しかし中学から電車通学をしており、帰ったところで近所に会いたい幼なじみがいるということはない。単に親が今住んでいる家だから行くのであって、地元だからという感覚はほとんどない。
 
 長い前置きだったが、地元とはなんだろうと思うことがあるという話だ。ふるさとって何なんだろう。我が子たちが将来ふるさと納税をするとしたらどこにするだろうか。“パソコンがもらえる自治体がいいな”くらいしか選定基準がないかもしれない。
 今現在は東北に住んでいる。3.11の日もここにいたが特に被害があった地域ではない。沿岸部では、震災後もかさ上げしてもなんでも元の土地に住もうとする人たちに対し、東京など外部から“なぜ移転しないのか”という指摘があった。考えがすれ違いすぎて対立のような形になっていた。
 実際東北に住んで、東北の人が東北を愛する気持ちはとてもよくわかる。だから私も自分なりにできる応援をしてきた。しかし心の片隅には、先述の外部からの意見に近い思いがあるのも事実だ。違う形のふるさともあり得るのではないかと思うのだ。
 少し前にマイルドヤンキーという言葉が注目された。私はその説明を聞いて、言い得て妙だとものすごく感心した覚えがある。小中学校時代からの人間関係を大切にし、幼なじみと結婚して親と同居するという地元志向の人たちがいる。それがいいとか悪いとか経済効果がどうということではなく、ずっとずっと同じ場所で生きていく人がいるのだとあらためて考えるきっかけになったのだ。
 
 繰り返すがいい悪いという話をしたいのではない。ただ我が子たちから特定のふるさとを持つという人生の選択肢を消してしまったなあと思うのだ。もうサッカーの内田篤人選手のように小学校の同級生と結婚する可能性はゼロかなあ…と。
 まあ内田選手も20年間ずっとその彼女と一緒にいたわけではないだろう。今の世の中インターネットという便利なものがある。空間も時間も一気に越えることができるツールがある。何年後かに偶然SNSを通じて再会して…ということも無きにしも非ずであろう。
 とにもかくにもまずは荷造りだ。テスト前に部屋を片付けたくなる子どものように、荷造りという現実から目をそらし、最近思っていることを書いてみたくなった私である。世界中どこに住もうと、私自身が子どもたちのふるさとだと開き直りながら。
 
2015年7月20
家庭教育アドバイザー
沖 由香子