家庭教育支援協会
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大道通長安 だいどうちょうあんにつうず

これは、どの道を選んでも幸せに通じているという意味の禅語です。

長安は、中国の漢の時代から始まる首都で、唐時代には世界最大都市に成長した町でした。

当時の幸せのシンボルと言われた都市です。だから長安に通ず、と言ったのでしょうね。

 

私たちは、生活の中で様々な選択を繰り返し生きています。例えば、朝ご飯はパンにしようかご飯にしようか、と言う小さなことから、進学先、就職先はどうしようか、結婚は誰としようか、など様々。

でもどの道を選ぼうと、信じて進んでいけば幸せに辿り着けるもので、大切なのは選んだ道をどう生きるかにあると説いています。

 

大道というのはどういう道のことでしょう?・・・その道一筋になるということだそうです。

食事の時は食事三昧、仕事の時は仕事三昧、趣味もお酒も、遊ぶ時ももちろん、勉強の時も勉強三昧、いつでもどこでも常にその事に全身全霊を打ち込んでこそ、初めて「道」といえる、それが大道だそうです。

 

こんなエピソードがあります。

お釈迦様の弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という愚か者がいました。

彼は自分の名前さえ覚えられなくて、板に書いてもらって首からぶら下げていたほどです。

お釈迦様の弟子になっても一向に修行が進みません。

そこでお釈迦様は彼に、「塵ちりを払い、垢を除(は)ぶかん」と教え、さらに一本の箒を与えます。

与えられた箒で、寺の各所をくまなく一心に掃除をしながら、「塵を払い、垢を除ぶかん」を口ずさみ毎日毎日励みます。

 

そしてある日突然、ぱっと気づきが訪れました。心にふりかかる煩悩や塵や垢が払われ、悟りが開かれたのです。箒で掃除するささいな事一つでも、その事に徹すれば悟りに到ることが出来たのです。

これがまさに「大道長安に通ず」。

 

私は、子どもに対する教育はまさにこの言葉に尽きると思っています。毎日、家庭で積み重なる時間は、意識しなければただ過ぎてしまうだけ。けれども、何か一つでも意識して一生懸命に取り組めば、一つの形になるのです。形にならなくても子どもにとっては心の思い出になります。

 

教育相談員をしていたとき、年度初めに必ず言っていたことがあります。

「今日から一年間、何でも良いので、必ず毎日続けることを一つ見つけましょう。」

そしてその年、私も生徒に毎日続けることとして、本の読み聞かせを約束しました。

ある生徒は、毎日続けることとして、「由紀先生が読んでくれた本の感想を一言ずつで良いから書くこと」と決めました。

 

一年経った時に、その生徒が、「由紀先生のおかげで上橋菜穂子という作家を知り、ファンタジーの世界に目覚めました。目標がなかった私にとって、すごく楽しい時間を提供してくれる読書を教えて下さってありがとうございました。不登校だった私がほぼ毎日学校へ通えるようになったのは、毎日欠かさず本の読み聞かせをして下さったからです。その先のストーリーを知りたいから」

と言われてとても嬉しかったことを覚えています。彼女は今、都内の大学3年生で、図書館司書を目指しています。

 

大人として、真剣に子どもと向き合うことは子どものやる気をアップさせることに繋がる、と実感しています。子どもに対して言いっ放しではなく、大人として、親として行動も伴わなければ子どもを動かすことはできないと思います。

 

とても些細なことでも、毎日コツコツ続けている姿を子どもに見せ、子どもと一緒に歩むことこそ「大道」で、やがて「長安に通じる」と思いませんか?是非、皆さまも、些細なことで結構ですので、365日続けることを見つけてみてください。ご自身が変わりますし、それを見ているお子さまもきっと変わると思います。

 

2017227

家庭教育アドバイザー

静岡県ケータイ・スマホアドバイザー

社会教育主事

柳川 由紀


アーノルドパーマーが目指した明るくて幸せな家庭づくり

 現在私はアーノルドパーマータイムレスに勤務しながら幸せな家庭づくりについて考えている。

 

 弊社では、夫婦だけにとどまらず親子でペアルックを着ることによる家族愛の結びつきや家庭内の幸せの追求を目指している。また、変わらない家庭内の幸せを見込むことで不変の幸せを願い、購入されるお客様も増えている。

 

 レナウンは、アーノルドパーマー氏の洋服のデザインを通して祖国アメリカ合衆国だけにとどまらず祖国を離れた日本の家庭の幸せづくりまで目指した。DVDが店の前に春夏秋冬ワンシーズン1作品、店の出入り口限定で放映されている。親子でペアルックを着て夏はキャンプ、秋はお気に入りのドレスを着て草花摘み、冬は親子でおそろいのデザインのコートを着て外出を楽しみ、暖炉に集まる夫婦親子のモデル映像である。

 

 客層はレナウンの洋服を着ることで幸せを求める夫婦、親子連れや学生までと、幅広い層に人気がある。幸せな出産後を目指して、出産後準備のため、おむつ替えのためのマットがついたマザーズバックを出産前の時期にご夫婦で購入する姿をみかける。七五三へ参加記念に使う鞄をお求めのお客様がいらっしゃる。お孫様の誕生日のお祝いに2歳になったころに着られるように成長を願って現在1歳から時期を早くした贈り物、遠く離れて下宿をされているご子息への贈り物にも喜ばれている。お客様を尊敬すべきは、必ずありえる成長や月日が変わっても変わりない幸せを見込んで早い時期から洋服を求めていらっしゃる点にある。

 

 レナウンが目指した家庭内の幸せはこのように普及して実現した。

 

 洋服は冬は暖かく、夏は涼しく、いずれも肌触りがよく、色彩豊かな華やかな印象のデザインが豊富にそろう。かばんに関しても、夏は涼しい海のデザイン、秋は紅葉のデザイン、冬は毛糸や毛布に似た素材があしらわれたデザインがそろう。靴は、夏はサンダル、秋はスニーカー、冬はロングブーツが店頭に並ぶ。

 

 弊社のデザインの洋服を着こなして、幸せな家族の在り方が1日でも多く増えることが喜びである。

 

 同時に、冠婚葬祭業に勤務をしながら家庭生活の幸せを考えている。冠婚葬祭業では、朝日が昇る前から結婚式場、お祝いや葬儀会場、火葬場へお出しするための裏作業を毎日行なっている。冠婚葬祭という人生の中でも美しく思い出に残る行事に携われることが幸せである。お祝いという喜びの場にお慶びが永遠に続くような願いを込め、葬祭時にはご遺族を慰め、故人を悼む場に仕事で関われて幸せである。

 

2017年1月30

家庭教育アドバイザー

森山泉美


睡眠と子育て

 私は、自然療法と家庭教育の観点で子育てや生活のアドバイスをさせていただいています。自然療法は、自然素材を利用することが目的ではなく、自己免疫力や治癒力を高め、心身や環境バランスの恒常性維持を図ることが目的です。そのためには植物の成分やケアの方法を知ることよりも、観察や洞察しながら、心身と環境を整えることを伝えています。

 しかし、最近は自然療法を学ぶ方の中にも対症療法を求める方が増え、自然療法というよりも自然医学に近い認識を求める方が増えています。観察や洞察していくことよりも、もっとダイレクトにスポット的に利用することで、効率的に解決しようということです。

 もちろんそれも一つの方法ですが、それだと悪いところだけを注目して、本来のバランスが崩れた原因を見失いがちです。これは最近の子育てにも同じような考えがあるように思います。子どものことを観察し、洞察していくことができれば、もっと早く整えることができるはずですが、悪いところが明るみにならないと対処できないのです。

 子どもの生活や成長段階でのバランスが崩れた部分を解決しなければ、また同じことが繰り返され、結局は親子ともども心身が崩れて共倒れになっていくケースも見られます。
 私たちは、効率的に無駄のないことや目先のことばかりにとらわれてしまい、日常の関連性や恒常性ヘの理解が希薄になっています。そこで当たり前の見直しをもう一度お勧めしたいと思います。
 まずは、とにもかくにも「睡眠」の見直しです。睡眠不足はもはや国民的問題であり、子どもの時からの睡眠不足が蓄積されて、睡眠不足が慢性化し、大人になって、さまざまなトラブルを起こしています。最近では「眠育」という言葉さえ生まれ、睡眠の大切さを伝える運動まで起こっています。

 そのくらい「睡眠」は健康な生活を送るうえで大切なことですが、一般的にあまり重視されていません。子どもの理想的な睡眠時間をご存知でしょうか。もちろん個人差などはありますが、低学年で必要な睡眠時間は10時間〜10時間半と言われています。中学年になると9時間半。そして、高学年になっても9時間半と変わらないのです。おそらく高学年になるときちんと満たされている子どもは、半分もいないことでしょう。

 遅い時間まで塾に通い、その後帰宅して食事、宿題、入浴となれば、日をまたぐことも多くなります。そうすると6時間くらいしか睡眠がとれていないことになります。理想から考えれば3時間半も不足しています。その足りない3時間半を毎日、何年も蓄積していくのですから、疲れが取れるどころか、ストレスとして負荷がかかるばかりです。そうなると、朝起きられない、食欲がない、やる気が起きない、日中は眠い、集中力がない、イライラすることが 多いなどネガティブな状態は増えます。乱暴になったり、暴言を吐くようになるのも、睡眠不足が原因ともいえます。
 「思春期だから」と成長による不安定さとして考え、睡眠不足による不調とは思っていないことも多いのです。
 これらのストレスを解消するために子どもたちはゲームで遊ぶことも多いと思いますが、ゲーム機やスマホ、パソコンからのブルーライトは、脳を刺激し興奮させるため、体は疲れていても眠れない状況を作ります。ストレス解消どころかストレス増加させていることになります。
 単純に子どもたちに「睡眠」を与えるだけで、かなりのストレスが緩和されます。どうしても短時間になってしまいがちな場合は、睡眠の質を高める工夫が必要です。眠る前に精神を落ち着かせるために音や光の刺激を遮断するだけでも、脳は落ち着くのです。落ち着くことで眠りを誘発させ、からだの疲れに従い眠ることで、心身を回復させます。
 眠る前の深い呼吸もよい睡眠につながります。眠る前に香りを利用するのもよいでしょう。香りをかぐことで、鼻呼吸が整い、呼吸が深くなります。アロマではなくても、柑橘系の皮を干したものなどをネットに入れて枕元に置いてもアロマ効果が期待できます。
 睡眠が整い、心とからだの疲労をきちんと取り去ることで、意欲をもった行動となり、思考もクリアになるので、睡眠不足のときよりも効率的に時間を使うことができます。基本的生活習慣の中で睡眠の大切さはわかっていても、なかなか家庭の中で真っ向から取り組むことが少ないのが現状です。せいぜい早起きをさせなくてはと思っている程度です。睡眠そのものを整えることで、体内時計も整うので、自然に早起きもできるようになります。たかが「睡眠」、されど「睡眠」。眠るだけで明日からの子育てが変わるかもしれません。ぜひ、家庭の中で「睡眠」に着目してみてください。

 

2016年12月12日

家庭教育支援協会理事、日本家庭教育学会常任理事、家庭教育アドバイザー

チャイルドケア本部講師
ナチュラルセラピースクール M’s touch 主宰

松本美佳
 


2017年2月末日まで 八洲学園大学 公開講座 チャイルドケア特別講座「小学生の心とからだのケア」を開講しています。
http://www.yashima.ac.jp/univ/extension/course/2016/06/post-457.html

チャイルドケア講座 http://www.childcare-jp.com/


ひとりの私とすべての他者とともに

「お話しいただいた内容は正確な対応のため録音させていただきます」

 

このセリフ、どこかで聞いたことありませんか。

電話から流れてくるあれです。お風呂のリモコンが壊れたとき、パソコンの設定方法がわからないとき、私はすぐ、電話で問い合わせをします。「もしもし、あのー、すみませーん」。人が出てくると思ってかけたのに、「用件に従って番号を押してください」と機械に言われます。「えー」と思いながら仕方なく操作するのですが、自分がどこに進めばいいのかわからなくて、最初からやり直したり、何度も間違えたりしながら、疲れ果て途方に暮れて、「その他のご用件」のボタンに導かれ、朦朧とした意識のなかで番号を押すのです。そうすると、前述した「お話しいただいた内容は正確な対応のため録音させていただきます」の声が流れてきて、ようやく人に巡り合うことができます。

 

これってサービス?私はいつも思ってしまいます。(この原稿を書いているとき、子どもが通りかかったので聞いたら、機械のほうが正確で早いから不満ないと言われてしまいました。でも、私は不満です。)

 

目的を明確にし、先鋭化した者だけが生き残ることができるデジタル社会の象徴のような気がしてならないのです。というのも、答えを間違えると次に進むことはできません。その都度、迷わず選択し、関係のないものを捨象していかなければなりません。つまり、面倒な他者(その他の選択肢)を気にかけていては、目的に到達することは覚束ないのです。このような現実は、ネット社会の構造によく似ています。ひたすら自分の興味のある情報だけを追いかけ、追いかければ追いかけるほど、先取りした情報が、画面上に現れ、さらに興味を深堀する構造に。そこには、他者はいません。ひたすら、自分の「快」だけを追い求める世界です。

数年前、世田谷区で、子どもたちにどんな大人になってほしいですかというアンケート調査をしたことがあります。

 

そこでは圧倒的に、「人の痛みのわかる人」になってほしいと願う親が多かったのです。

 

振り返って、いまの私たちの視野の中に他者がどれほど映り込んでいるでしょうか。電車に乗れば、いまではもう珍しい光景ではなくなりましたが、みんなうつむいて、スマホの画面に没頭しています。街を歩けば、ポケモンGOに熱中して、ぶつかるのも構わず歩いています。

こうした光景に遭遇すると、現代起きている多くの問題は、他者を意識しないことから説明できることがほとんどのような気がします。ネット社会は、人々を分断し、「私」の周りにいる他者への想像力が育ちにくい社会なのかもしれません。親の願いは、「人の痛みのわかる人」に、であるにもかかわらず。

「人の痛み」を本当の意味で理解することは、できないことかもしれません。

「あなたに私の痛みなどわかるはずがない」。

そうかもしれません。でも、だからこそ、他者を思いやることのできる人になってほしい、親はそう思うのでしょう。思いやりの心は、想像の翼に支えられていると私は思います。その想像力は、常に目的に向かうことだけによって培われるのではなく、目的にかかわりのない領域、たとえば開いた窓から外を見るような漫然と世の中を見渡す目から生成してくるものではないでしょうか。

 

 あなたは、このごろ何もしないでぼーっと窓から外を見たことありますか。

 

2016年11月21日

家庭教育支援協会理事長、日本家庭教育学会常任理事、家庭教育アドバイザー、

家庭教育師、筑波大学大学院博士課程在籍

二川早苗


違いについて考えられる子どもに育てる家庭教育

家庭教育や子どもの発達に興味を持ち始めてから多くの月日が流れ、自分自身も親となり、子育てをしながらつくづく実感していることがいくつかある。

 

その一つは、巷やインターネット上には本当に多種多様の子育て情報が錯綜的に存在ししているということである。特にネット上の書き込みや、企業の作る情報サイト等は感覚的な経験知を元に書かれていたり、自社の製品に有利なように誘導するような情報があったりと、価値観が固まっていなくて藁をもすがる思いで情報を探しに入った親たちに対しては正に迷宮入りの招待状の様なものではないだろうかと思わされる。

 

だからこそ親が考えを整理して、まず自分の子育てに重要視したい軸を定めてから様々な情報を参考にしていこうと思うのであるが、子どもに基本を教えていこうとすると、その場合の基本とは何かという疑問も俄かに沸いてくる。

 

特に、様々な考え方や文化、人種が入り混じるような環境にいると顕著に現れてくる疑問である。またそれは、文化の違いによる基本的生活習慣や礼儀作法の違いをどのように子どもに教えていくかという課題にもなる。

 

一定の文化圏の中で他の文化との違いを学ぶ時は、学校授業のように学ぶことができる。しかし、様々な文化が寄り集まる環境にいたり、相互の文化に深い関連があったりする場合、子どもは、どの尺度で捉えたら良いのか自信が持てずに混乱の連続になるか、曖昧に事をやり過ごしてその場に合わせていくことになる可能性が高くなるだろう。

 

私の様に海外で子育てをする者にとっては、親自身も今一度考え直さなければならない価値観構築の節目の様なものが到来するのである。これが最近、私がいろいろ実感することのもう一つである。

 

基本的なことをしつけようと思って挨拶の習慣について考えてみても、例えば、ここ韓国と日本のそれは同じように見えても挨拶を重要視するタイミングや意味が若干異なっている場合がある。

また、列や並ぶ順序を守ろうと言っても“お年寄りは優先”という慣例から、割り込みされても若者は文句を言いづらい暗黙の了解があったりと一辺倒の考え方では理解ができない事がある。

 

前者であれば、まず「こんにちは」とは「アンニョンハセヨ」だと訳されるが、実際は同じく用いれる時もあれば、そうでない時もある。日本では朝であれば、起きて家の中で家族に会った時に「お早うございます」等と挨拶するでしょうが、そういった場合に韓国では「アンニョンハセヨ」よりも、(目上の人に言うのであれば)「チャル チュムショッソヨ?」(ゆっくりお休みになりましたか)等と声を掛けたりする方が馴染む。この時に「アンニョンハセヨ」を使うと若干距離感が生まれるとでも言ったらいいだろうか。もちろん、言語を習得させる際にはただ置き換えた訳を教えたりはしないであろう。しかし、その違いをただ感覚的に教えるのではなく、子どもに分かりやすく背景を説明して理解を深めることが必要になってくるであろう。

 

また別の例もあげてみる。韓国でご飯を食べる時は、基本的には器を手に持って食べない。器を持って食べるというのは、身分の低い者が肩身狭そうに食べていた雰囲気になるのでという理由がある。また、片膝を立てて食べるのも本来の正式な姿勢である。これは特に女性が韓服を着たときに綺麗に広がり、優雅に見える姿勢だったところからきているが、この両方を日本でやると非常に行儀悪く躾のなっていない典型例の様になってしまう。

 

例を挙げればきりがないが、片方では“良いこと”“こうであるべきこと”が、もう片方では“悪いこと”“そうあってはならないこと”となるのである。このように基本的な生活習慣や社会道徳を教える場合にも、根ざした文化によって違うということを上手く教えていかなければならなくなってくるのだ。

 

周知のとおり“正しいこと”とは文化や環境の影響を大いに受け、見方によっても変化するものである。大人でもマイケル・サンデル著「これからの正義の話をしよう」が流行ったように難しくナイーヴな課題なのである。

特に社会のグローバル化が進んでいく中で、子どもにどういった視点を身につけさせ、違いを知り、考える能力や受け入れる能力を身につけさせるかはとても重要なのである。

 

変化の速度が速く、多様な価値観を持つ人間がコミュニティの要素となる場合には、その力を身につけさせること自体が家庭教育に強く求められると言っても過言ではないかもしれない。

 

「こうすべきだ」と教えれば、間違えれば「そうでないものは間違っている」という図式になりかねない。「我が家ではこのようにするのが良いと考えているの」とか「場所によって理由があってこの方法を選んでいるの」など多少難しくても理由や背景を伝えながら教えていく必要が出てくるのではないだろうか。別のところに行って違う習慣に出会ったときには、なぜ違うのか、その場合はどちらを選ぶのが良いのか等を共に考えながら選んでいく訓練をしていかなければならない。

要するに、家庭にてそのような会話をしながら思考の訓練していくことが子どもにとって大きな助けになるのではないだろうかと思う訳である。

 

また、「違い」と拒否感を結びつけて排除しようとする習慣を身に着けてしまわないように「違い」はなぜ起こるのか、「違い」を生むのは何なのか、そこに葛藤が生じるならばどうすれば調整する道が見出せるのかを共に考える雰囲気を家庭内に作っていく必要があるであろう。そのように考える力をつけられる様に手助けをしていくことが、これからの社会で生き抜いていく力を養うのに、実はとても重要なのではないだろうかと感じる今日この頃である。

2016928

韓国在住 主婦

藤井 美幸