家庭教育支援協会
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民俗誌における産育

 農村の民俗誌などを読んでいると、地域が異なっても産育に関する女性たちへの聞き取りの記述に繰り返しでてくる言葉がいくつかある。それは「子育ては仕事のうちに入らない」ということや、「教えられたように子育てをしていれば子どもは自然に育っていく」、という類の言葉である。子育てが古い農村において「仕事」としてとらえられていなかったという背景には、お産の直前まで農作業を行い、産後もすぐに仕事をしなければ労働力が不足するという状況があったということがいえるだろうし、子育ての伝承の知に即していけば子は自然に育っていくという子育ての範型をもっていたということができるだろう。

 

家事や農作業など様々なことをこなしながら子どもを育てる女性たちの逞しさを知ることができるが、そのような大変さのなかでも、子を育むことにおろそかであったということではない。「七つまでは神のうち」という言葉にあるように夭折することがないように神仏への祈りを欠かさず様々な儀礼を取り行いながら愛情を注いで大事に育ててきたのである。子どもは授かりものであり、小さいうちは神的な領域とこちら側の世界との境界にあって不安定な存在であり、向こう側の世界へ行ってしまわないように注意深く育てられるのである。そして、ある一定の時期(七歳ごろ)を過ぎると、作物が根をはり、定着すれば安心できるのと同じで、あとはやることを普通にやっていけば、「子どもは自然と育っていく」というのである。

 

 このような民俗誌に記述されている古い農耕村落共同体の産育の在り方のなかに感じるのは、子どもを生み育てることが農耕のなかで得られてきた、「はぐくみ・育てる」ことに対する知と同等のものとして把握されているのではないかということである。たとえば、稲作の播種、苗床、田植えから収穫まで、時期に応じたなすべきことを一つでも欠けば、実りは得られない。そしてそれは自然の力のリズムに即しながら、さらにその力を借りなければできないし、その力が負の方向に作用しないように祈りの儀礼が取り行われる。横山浩司氏もまた『子育ての社会史』(勁草書房、1986年)のなかで「日本の伝統的な子育て観は、植物(農作物)を育て、育つことのアナロジーで捉えられていたようである。事実、江戸期の育児書は、たびたび子どもの育つ様子を植物にたとえているし、また明治期には、養蚕と子育てを類比させているものもある」としている。

 

子育てが植物や自然の生命の成長の在り方との類比でとらえられるとしても、その場合の植物は人間の手がかかっていない自然そのものとしての植物というより、「ものつくり」(農耕)における植物であるということができるだろう。作物の実りが農の目標だとすれば、子育てとの類比における実りは「一人前の大人」に育て上げることだとみることができる。一人前に育てるためには様々な「しつけ」も必要になってくるわけであるが、この「しつけ」という言葉もまた、一説によると、稲を苗床から田に植えて仕立てることに由来するものあるといわれている。田植えに関わる言葉として、田植えの期間をシツケドキといったり、田植え後の農作業の休みをシツケヤスミと言ったりするようだ(倉石あつ子 他『女の眼でみる民俗学』(高文研、1999年))。田植えをシツケルという言葉で表現するところからも、日本の農耕社会のなかで先の子育てを農耕における植物の育成との類比があったことがよく分かる。

 

子育ても、田畑のつくりものも、適切にある一定の手をかけ育みながら、あとはそれ自身がもっている育つ力にゆだねていく。そうすれば一人前(実り)になっていく。実りが、作物がもつ力によってもたらされるように、子もまた自分の力で自分自身の実りを結んでいくのである。子育ても、農耕のつくりものも自分自身以外の大きな力を借りながらなされるものだという認識である。民俗誌のなかの母親たちの言葉や態度からは、子への慈しみを抱きつつも、自分以外の大きな力にその大事な子の育ちをゆだねているようなところがある。このような子育てに関する長い経験の蓄積とそこから得られてきた民俗知から学ぶことは少なくない。

 

 このように記すと、家族形態や生業形態、社会全体が都市化した現代の社会状況などと重ね合わせると、どう見てもふるい農村社会の子育ては現代に当てはまらないのではないか、このような子育てについての記述は単なるノスタルジーではないかなどの反論があるだろう。しかしながら、現代の子育てにまつわる込み入った状況があるとはいえ、子が育つというあり方自体はおそらく変わっていないのではないか。大きく変容してしまったことがあるとすれば、「実り」、すなわち子育てのゴールとは何かということへの認識かもしれないのである。親であれば、自分の子が「実り」多いものになってほしいと思うのは当然であるが、他の田んぼより自分の家の田んぼの稲は何十倍も穂をつけさせようと肥料を過剰に与えたりするのはやはり不適切であり、稲を腐らせることになってしまうように、適時、適切なケアとシツケがあればよく、子がやがて「実る力」はその子自身に備わっているのである。

  

八洲学園大学生涯学習学部

准教授

家庭教育支援協会

平良 直


<夫婦の道>断想

  「夫婦はその私的存在の形成を通じて共同性を実現するという人倫的任務を課せられている。<夫婦相和>として言い現わされることはまさにこの共同性の実現にほかならぬ。夫婦が和合するのは何かのためではない。和合そのものが夫婦としての人倫の道であり、従ってそれ自身に意義を有するのである。」―近代日本倫理学の大成者と位置付けられる和辻哲郎(18891960)の主著『倫理学』第三章の中で「二人共同体 性愛と夫婦」と名付けられた第二節に見える言葉である。

 「夫婦相和」という儒教的な教説に基づきながら、「自他の間には何ことも隠されることなく、自ら意識し得る限りにおいては、存在のすみずみにまで相互に他の参与を受け得る」関係として<夫婦の道>を定義する、この和辻『倫理学』の第三章は昭和17年に刊行されたものである。今から70年前のことである。

この間、<夫婦>をめぐる認識は、民主主義の深化、フェミニズムの発展などの周り環境の変化の影響を受け、著しく変わった。もともと和辻が70年前に日本において<夫婦の道>のキーワードとして提出した「和合」は、儒教の「夫婦(男女)別有り」、つまり夫婦生活の「分業」「差別」観念を基底とした「夫婦の間の補足的関係」を想定したものであった。これに基づいて和辻は、具体的に「夫の道」は「外に向かって労働し、生活を脅かす力との闘争によって、……夫婦の形成する私的存在をささえ、衛(まも)り、育てる」こと、「婦(つま)の道」は「内にあって夫を助け、慰め、和らげ、……夫の生活力や闘争力を高める」ことであるとした。

現在は女性の「外に向かって労働する」社会的経済的活動も、当たり前のこととなっている。専業主婦やYummy Mummy(外の仕事を放棄し、子ども養育のみ没頭する女性)に対する公然たる批難もしばしば見られる今日である。韓国では、二大祝日であるお正月と仲秋節の後に離婚率が急激に上がると言っているが、伝統的に夫の実家に行って祭祀などの家事を手伝うことへの(主に社会活動をしている)婦側からの不満が、その背景にあるようである。

 また夫婦関係において、和辻の捉える「夫婦和合」を伝統的な夫婦像とするならば、アメリカの心理学者のアノルド・ラバルスが提示する<結婚の神話>論(『Marital Myths Revisited』、日本語訳『秘密があるほうが、男は女はうまくいく』 )は、そういった伝統的な夫婦像をもう必要ではないものとして破棄しようとする現代の夫婦像を象徴的に現しているものである。この本は、「夫と婦はなんでも一緒にすべきである」、「幸福な夫婦は完全な信頼を要求する」、「結婚のパートナーは相手を幸せにすべきである」といった伝統的な夫婦の道を「誤解」「強迫観念」としてことごとく否定する。さらに、現行の結婚制度の代案として「Polyamory」が話題になる現代でもある。これは「多く」の意味のギリシャ語の「poly」と、「愛」を意味するラテン語の「amor」からなるもので、互いに愛を独占しない、つまり伝統的な一夫一婦制を否定する結婚の新形態をいう。配偶者の同意下での自由恋愛となるので、いわゆる「うわき」とは違う。

こういった夫婦関係・結婚制度の変化の主体的な変革者は、いうまでもなく女性(婦人)である。20世紀に入って急速に広まったフェミニズム運動の成果が下支えになっているものであるが、それは間違いなく、歴史の長い間における男性側の「専横」が呼び起こしたものである。いわゆる「家父長制」がそれである。しかい、家父長制は人類の歴史から姿を消しつつあり、一部とはいえ、西欧の先進国では「男女の平等」というより、「女性に対する男性の不平等」さえもいわれる時代を迎えている。男女の完全な平等が可能になった段階において、昔は女性を束縛する性格が強かった妊娠・出産の機能が、今や科学の発展によって自由に選べる機会が増え、むしろ男性は絶対に持ち得ない女性だけの特権とみることができるからである。


 時代と意識の変化に伴い、それに似合う家族関係、夫婦関係を探す努力は続けなければならない。現代の実験的な結婚制度・夫婦関係のやり方もその意味で意義を持つものといえよう。しかし、その制度ややり方が我々に幸せをもたらしてくれる確信はどこにもない。エーリッヒ・フロムは人間の実存を「孤独な存在」として捉え、「人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤立の牢獄から抜け出したい、という欲求である」(『The Art of Loving愛するということ』)という。このフロムの言葉を人間全てに適用できるかどうかは別として、すくなくとも社会的に経済的に独りでは生きていけない存在が我々人間であるという仮定の下で、その人間の実存の問題を解決すべく自然にまた制度的に形成されたものが「夫婦」であるとするならば、相手の気分をこわさないように努め、お世辞を言い合うだけの関係としてのカタチだけの夫婦ではなく、「存在のすみずみにまで相互に他の参与を受け得る」真の意味での夫婦関係への視点も重要ではないか。


 また、男は男、女は女であり、夫は夫、婦は婦であるという事実は、我々の日常生活の前に厳然としてあるものである。ロボット的な男女平等ではなく、権力問題として男女平等を前提にして、相互補完的な役割分担の意義をどう導き出すか、そこに目指すべき「夫婦の道」が潜んでいるような気がする。

20121015

副理事長

八洲学園准教授

嚴 錫仁

 

 

 


恩と絆

   だいぶ前のことになるが、子どもが学校の図書室から、あんびるやすこさんの『ルルとララのアイスクリーム』という本を借りてきて読んでいた。どんなお話か、きいてみると、なかなかおもしろそうなので、借りて読んでみた。そのなかに、「お礼リレー」というのが出てくる。

 

 「シュガーおばさん」(といっても絵ではずいぶん若そう)が、パンの配達帰りに森の中を通ると、怪我をして泣いている子ダヌキに出会った。かわいそうに思ったシュガーおばさんは、ていねいに傷を洗って応急処置をしてやり、なおも泣きやまない子ダヌキに、自分のおやつ用にもっていたパンを食べさせ元気づけてやった。ようやく落ち着いた子ダヌキを、シュガーおばさんはスクーターでタヌキの家の近くまで送ってやった。

 子ダヌキはいたく感謝し、怪我が治ったらぜひシュガーおばさんの店までお礼に行きたい、と言う。しかし、店までの距離は、子ダヌキが訪ねてくるには遠すぎると考えたシュガーおばさんは、短い手紙を書いて渡し、お礼にしてほしいことを書いておいたから、お母さんに読んでもらってねと言って帰っていった。

 その手紙には、「わたしへのお礼は、わたしでないだれかにうけとってもらってください。そのだれかがよろこんだり、たすかったりしたらあなたのお礼はうけとられたことになります」と書いてあった。子ダヌキは、その通り実行した。相手が子ダヌキにお礼をしたいと言うと、子ダヌキは先の手紙を渡した。そうして、お礼を他の人に返すことが連鎖していった。これが「お礼リレー」で、その輪は広がっていき、返されるお礼は、そのようなことを意図も期待もしなかったシュガーおばさんにまで返ってくることになったのである。

 

 助けてくれた人に、恩を感じ、恩返しをしたいと思った経験は、たいていの人にあるのではなかろうか。誰かが善意から恩恵を施し、それを受けた者が恩を知り、感謝して、恩返しをしようとする意志をいだくことは、心の絆をかたちづくる。

 恩返しは、誰よりもまず、助けてくれたその人に対して、恩恵を与えてくれたその人に対して、したいと思うわけだが、恩人への恩返しは必ずしもそのようなかたちにとどまるわけではない。親への恩返しは、親孝行としてだけでなく、子どもたちへの愛情としてもなされる。恩師の学恩への恩返しは、恩師その人へ返せるものは十分でありえず、むしろ、次の世代の弟子に対して、あるいは後輩に対してなされるであろう。また、自分の力だけではどうしようもなく、困り果てているとき、何の打算もなく、善意で助けてくれる人があらわれたなら、自分もいつか同じようなことを誰かにしてあげたいと思うにちがいない。

そうした連鎖は、血縁や地縁、利害や問題の共有などよりも、ずっと固く当人たちを結びつけるものとなるのだと思う。

 

 ところで、『ルルとララ』の世界では、みなが素直に、助けてもらった人に感謝の気持ちをいだいて、自分も誰かを助けてあげたいと思っている。だから、「お礼リレー」は途切れない。しかし、私たちは、受けている様々な恩恵について、それと気づかないでいること、感謝の気持ちをいだいていないこともありそうである。

 たとえば、生みの親にしてもらったことは、「親だからそれくらいするのは当然」と言い放って、少しもありがたく思わないということもあるかに思う。そこまで言わなくても、そのありがたさが、まだわからないでいることもあるように思う。しかし、ある時、当然ということばでは尽くせない何かがそこに見いだされることもたしかにあるだろう。

 

親の恩については、「子を持って知る親の恩」(辞書では「自分が親となり子育ての苦労を経験して、初めて親のありがたさが分かるものだ」(『大辞林』)などと説明される)と言われるが、恩を知り、それに心から感謝し、恩返ししようという意志は、どのようにして形成されるのだろうか。

2012年108

理事

八洲学園大学教授

石井雅之

 


家庭教育について思うこと

  「家庭教育ってなんだろう、どう伝えようか、大人にも子供にも、家族にも友達にも、伝えたいことが詰まっているもの」というイメージはあるものの、伝える言葉にできていません。


 個人〜家族〜家庭の伝承であったもの、難しいことではないはず、と思ったときに、映画・ドラえもん「のび太と奇跡の島」の主題歌『生きてる生きてく』と、歌への子供の反応を思い出しました。
高校生そして中学生になったこどもたちですが、何か良いことがあるたびに、「遺伝子、よろこぶかな」と、この主題歌に共感しています。難しいことを伝えようと意気込んでも理解できないことが、歌はシンプルに子供の心に響いていたと感じました。

 

100年先でがんばってる遺伝子に 役に立てますように いまを生きてる

1001000年前の遺伝子に ほめてもらえるように いまを生きてる』

・・・福山雅治さんの『生きてる生きてく』の一部分です・・・

 

こうして歌詞だけを文字として読んでも伝わりにくいことがあります。しかし、歌にすることで、過去があるから今があり、今があるから未来がある、だから今あることに感謝するということがよく伝わり、心に響くのではないでしょうか?

歌が伝えたこと、響かせたことを、自分の生活の中で、言葉で、暮らしの中で発信していきたいな、と思っています。

2012101

家庭教育支援協会会員 白岩暖美


家庭教育支援は愛と願い――海辺の一本松から

 東日本大震災からちょうど一年半の時間が経過した。被災地の皆様はまだ悲しみは癒えるはずはないであろう。子供を失い、親を失い、親族、家族を失い、地域の人々を失った、あの大震と津波からの恐怖は生涯忘れることはないであろう。


 だれを恨むことでもないし、しかし恨まずにはいられない悲しみと怒りと、失望と喪失、こうした複雑な思いを支えて来たのは、浜辺にたった一本残った「潮除け」の松であった。

 昨日この松が切り倒された。一年半に渡って震災地の人々の心を支えてきた松、たった一本奇跡のように立っていた松。この松がやがて人々を復興の気持ちへと導いていた。自然の脅威に対して、なすすべもない人間の非力、あきらめと嘆き、こうした、ともすると挫けてしまいそうな思いを支え、勇気づけてくれていたのが、あの一本の松の木であった。

 金子みすゞという詩人がいた。昭和五年に二十六歳の若さで、一人娘を残して自裁してしまった。みすゞは山口県仙崎に生まれたが、四歳で父を失い、その後母は再婚し、祖母と暮らしていたが祖母も失ってしまった。そんな折りに大震災があり、金子みすゞの生家は瓦解し、大津波に呑まれてしまった。

 なんと下関寄りの浜には防潮林があって、これもこの度の東日本大震災と同じように、一本の松が奇跡的に残った。みすゞはこの時の様子を詩にあらわした。「一本松」という詩と「大震災一年後」という詩である。この詩には、金子みすゞの「愛と願いと祈り」が詠み込まれている。

 太平洋側と日本海側との違いはあるが、なんと同じ思いを抱いた詩人が八十年前にもいたのであった。詩人も事故であったが父を失い、養子に出された弟を失い、再婚した母を失い、育てられた祖母を失い、次々と肉親を失っていった。そんな寂しさを詩に詠んだのであった。

 金子みすゞという童謡詩人をつくり出したのは、日本海側の美しい山と岬と入り江であった。この美しい港町を地震と津波が襲ったのである。みすゞと祖母は港町の高台の湾が見下ろせる王子山に登って命が助かったのであった。

 やがて成長した金子みすゞは詩を書くようになった。みすゞの絶望と悲しみを救ったのは浜辺にたった一本だけ残った松の木であった。みすゞは「一本松」という詩を書いて自分の生きる勇気を奮い立たせた。大正十二年九月に金子みすゞは西條八十に認められて童謡詩人として全国に知られるようになる。

 「一本松、一本松立って海みてる、わたしもひとりで海みてる」「海は真っ青、雲は白、赤いお舟、まだみえぬ」「赤いお舟の父さまは、いつかの夢の父さまは」「一本松、一本松、いつだろうか」という哀切な詩である。あの四歳の女の子が「お母さん元気ですか、生きてるといいね」と書いたあどけなさと、せつなさを思い出すと涙を禁じ得ない。


 一年半に亘って浜辺に立ち続け、だまって被災地の人々を勇気づけた一本の松、この松から人々は復興への気持ちを持ち始められた。こうして無言で立ち続けることで勇気を与えるものがある。家庭教育もそのようなものであろう。

 自分の力でよそ様の家庭を変える。自分の支援によって家庭をよりよくする。そのような大それた行為ではない。家庭教育支援、家庭教育アドバイス、という行いは、そっと気付かせてあげ、変えようという気持ちを持ってもらい、自分から生きることができている喜びと、生かさせていただいている幸せを感じ取ることであろう。


 家庭教育支援とは「愛と願いと祈り」の心を持つことを知ってもらうことである。思いやり、真心、世のためになる、人のためになる。こうした思いを自分も持ち、他人にも持ってもらう。そうした思いの輪を広げてゆくことが支援ということなのであろうと思っている。

2012924

中田 雅敏

家庭教育支援協会顧問・八洲学園大学教授