家庭教育支援協会
トップページお問い合わせサイトマップ

コラム

  • 私たちの理念
  • わたしたちについて
  • お知らせ
  • 活動報告
  • これまでのあゆみ
  • これからの活動
  • 会報
  • コラム
  • リンク

ばあちゃんの教え

 相変わらず、家庭教育ってなんだろうと考えていたある日のこと、学食で一緒になった学生に聞いてみた。「うちではどんなふうに育ったの?」彼は地方出身で現在親元を離れて一人暮らしだ。「母親は家のことするの好きじゃなくて、自分にもそんなに口うるさくいうほうじゃなかったかな。でもばあちゃんが、いっつも言ってたことがある。」

 

なるほど、母親はそんなに教育熱心じゃなかったのか。

その学生は、朝に弱いらしく午前中の授業は、いかにも寝起きといった様子でぼさぼさの頭をしてやってきた。教室に入るときは遠慮がちだが、かといって悪びれた様子もなく淡々としている。発言を求められれば、一呼吸置いた後、穏やかな口調でしゃべり始める。いつもどこか飄々として自由な雰囲気を漂わせている青年だった。

青年は続けて言った。

「うちでの教育っていったら、ばあちゃんがいっつも言ってたことかな。」

と彼は話してくれた。

「ばあちゃんは、人を騙すな。人殺しをするな。嘘をつくな。人に迷惑をかけるなっていつも言ってた。」

ふーん。そうなんだ。私は再び聞き返した。

「それだけ?」

「うん。それだけ。」

 

青年の答えはそれだけだった。人を騙すな。人殺しをするな。嘘をつくな。人に迷惑をかけるな。この四つの教えが青年の家庭の教えのすべてだった。彼の話では、親は高卒で、大学のことはよくわからないからと、大学に行けとも勉強しろとも言われたことがなかったそうである。

 

わからないことをわからないと正直に言えること、自分の無知を知っていること。それは古代ギリシアの哲学者ソクラテスもこだわっていたことである。

本当に大事なことはそう多くはないし、「大切なものは目に見えない。」とサン=テグジュペリの『星も王子さま』もそう言っていたではないか。

家庭ではその本当(・・)()大事(・・)()こと(・・)だけを伝えていけばいい

 

アメリカの哲学者ミルトン・メイヤロフは、子どもを「その子自身が本来持っている権利において存在するもの」として認め、「成長しようと努力している存在」として尊重することが重要だという。つまり、子どもを自らが成長するポテンシャルをもった存在として信頼するのである。それには勇気が要る。信頼したはいいが、横道にそれてしまうこともあるかもしれない。それでも信頼し続けるのである。子どもにとって信頼し続けてくれる人がこの世にたった一人でもいれば、どれほど心強いことだろう。

 

件の青年の家庭では、家族がみんな彼のことを信頼していた。だからこそ彼は充たされ、穏やかに育ち、他者への配慮ができる青年に育ったのだ。

彼の家は世間で言われるような、教育熱心な家庭ではなかったかもしれない。だがしかし、必要にして十分な教えを彼は祖母から授けられていた。それは人間の根幹にかかわる教えだった。

こうなってほしい、ああなってほしいと子どもに対して思うのは、親の性である。しかしあまりに熱心過ぎるとかえって弊害となることもある。

意図的な教育の中心が学校教育にあるとすれば、無意図的な教育は家庭教育が中心となる。その両者が相俟って人格の形成に資するのである。学校教育といえども、家庭教育あってのものである。教育の基本は家庭なのである。学校という集団生活の中に入る前に家庭で必要なことを学ぶのである。さらに言えば、学校に入ったから家庭教育がおしまいではなく、その後もずっと通奏低音のように続くのである。

そこで為される教育は、親がするでもよし、祖父母がするのでもよし、子どもにかかわるすべての人によって為されるべきものである。

親の教えと茄子の花は万に一つの無駄はなし、なのである。

 

201279

家庭教育アドバイサー、家庭教育師

世田谷区社会教育委員、世田谷区スポーツ振興審議会委員、関係者評価委員

筑波大学大学院教育修士号取得後、筑波大学大学院一貫制博士課程哲学思想専攻在籍中

二川 早苗

 


伝言ゲーム

 

数人の人から人へ「言葉」 「文章」 を伝えていく「伝言ゲーム」、一度は経験があるのではないでしょうか。

 

ちゃんと聞いたはずなのに言葉が少しずつ変化してしまったり、果ては、全然違う言葉になっていたりと、記憶の曖昧さであったり、発音の不明瞭であったりと思わず笑ってしまう結果がかえって面白かったりもします。

 

今、私はこのゲームを幼稚園の子供たちと楽しんでいます。

 

各年齢ごとに手法を変えながらではありますが行ったなかで、様々な様子が見受けられました。

まず、「言葉を聞く」というところで、小さな声で話せない・耳打ちを嫌がる・何度も聞き返しても憶えない、或いは憶えられないというケース。

次の「伝える」ところでは、憶えたはずの言葉を忘れてしまう・「なんだっけ?」と不安になり伝えられない、というケース。

 

「そんなに難しいゲーム?」と思い直し、様子を振り返りながら考えると、様々な現代の家族事情に、思い当たるところがありました。

 昔の大家族では、「おばあちゃんに伝えてきて・・・」などの伝言する様子が見られましたが、現代の核家族では、親子のみの会話のため、共通の認識もあるので特に言葉が抜けてもなんとなく「ああ、はいはい」と通じるケースが多く、何も不自由がありません。

また、他者に向けてのメールなどでは、極端な場合、要点だけでも通じてしまいます。

 

 しかし「伝言ゲーム」においてはそれは通用しません。正しく言葉を聞き、それをそのまま正しく伝えることが求められます。

 

年中・年長の園児になると、「聞く」時にしっかり口元に耳を寄せて「聞き取ろう」とする様子や、「伝える」時に言葉を話すスピードを変えてみたり、言葉の切りところを変えてみたり、など、子供たち自身で工夫をし、だんだん聞き取り方、伝え方が上手になっていきます。

年少の園児は、伝える先生に抱きついて顔を寄せ、遠くにいても聞こえるくらいの声ですが、ニコニコ笑いながらも一生懸命伝えています。微笑ましい姿に見ているほうもつい笑ってしまいます。

 たかが「言葉」かもしれませんが、されど「言葉」で、人の話を聞く力、そしてその話を理解する力、また、その話を伝えていく力は、物事を学ぶ力ともなるでしょう。人とコミュニケーションをとる力、社会に出て行く力となっていくでしょう。

 

こどもたちの小さい頃の「お母さん、あのね・・・」は、「言葉」を聞き・伝える大切な一歩だと改めて考えます。

 

201272

音楽ファシリテーター

鈴木知子


母になった娘

 今年の春に初孫が誕生しました。

嫁いだ娘が里帰り出産をしたので、嬉しくも慌ただしい日々を過ごしていました。娘たちの世話をしながら、どんな孫に育つのか、娘は母親としてやっていけるかしらと、あれこれ思い巡らせました。
 自分が娘を授かった当時は、喜びと同時に健康で大きく育っていくだろうかとても不安でした。特に乳児期は、初めての子育てのため、泣き声の度にオロオロしていました。なかでも娘の夜泣きに随分悩まされました。泣き出すとなかなか泣きやまず、睡眠不足の日々が続きました。
 
 
「這えば立て、立てば歩めの親心」とか。どんどん成長していく我が子の可愛さに目を細めていました。ところが、3歳前後に第一次反抗期が始まりました。何気なく声を掛けても「イヤ」の連続。躾と称して、こちらの思惑通りにさせようとしても反抗するだけ。可愛いだけの感情から本気で叱ることも。第一次反抗期はのちに第二次反抗期とつながる発達過程であると知っていたのですが、現実の大変さに困惑しました。

 
保育園に入園してから、色んなことを話したりできるようになり成長の早さを感じました。その分、行動範囲も広がり怪我や病気などの心配も増えたのでした。その頃、下の子も生まれ子育てが更に大変になると覚悟したのですが、不思議とあらゆる面で上の子より楽でした。上の子の子育てを通して心に余裕ができたからだと思いました。

 
子どもが小学校や中学校へ進級するにつれて、親が難しいと感じる年齢になってきました。勉強や友達関係、学校生活と我が子が悩むようになりました。我が子の悩みは、親の悩みでもあります。我が子にアドバイスをしながら、時に親子喧嘩へと発展したこともありました。親としてどうしてよいか分からず、周囲に相談したことも。そうこうしているうちに、親離れ子離れが進み、自立への道を歩んでいきました。 

こうして振り返ると、第一子の子育ては親も全てが初めてです。だから、分からないことが悩みや不安、心配となりました。下の子の子育ては、上の子で経験したことで、たぶん大丈夫とのんびり構えていられたのです。この、たぶん大丈夫というのは、子どもの成長と生命力を実感し、周囲の人たちの助けをもらってきたからだと思います。周囲の人たちとは、家族や身内、ご近所、そして同じ子育て中のお母さん方です。

 

この多くの方々の支えや助けがあったからこそ、娘の今があることを実感します。子育てが始まった娘には、自分が親としてやってきたことを押し付けることなく伝えていこうと思います。孫の成長を楽しみに、娘の子育てを応援していけたらと考えています。

 

2012625

家庭教育アドバイザー
家庭教育師
松田典子


AKB48総選挙から学ぶ 「大人の本気を見せる子育て」

 先週メディアを賑わせたのは、アイドルグループAKB48の総選挙の話題でした。この総選挙に本気で臨んだ237名のメンバーの言動から、子育てのヒントを学ぼうと思います。

 中日スポーツ等によりますと、AKB48の総選挙というのは、
次のシングル曲(タイトル未定)を歌う選抜メンバー16名を(立候補者237名)ファン投票で決めるというもので、今回は4回目になるそうです。

 そして今年初めてフジテレビ系のTV局にて生中継され、その平均視聴率は18.7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)で、関西地区17.9%、名古屋地区21.5%、そして最高瞬間視聴率は28%と共に高く、国民的行事と呼ばれるに相応しい番組であったそうです。

 

 なぜこんなにも関心が高かったのでしょう?

 

 私はその理由を、『AKB48は本気の姿を私達に見せてくれるアイドルだから』と分析しています。

 人間の心の奥にある真実の思いというのは、理性が働いてしまうと、よく見られたいとか正しい行いであるか等の考えから、脚色されがちです。しかし総選挙での彼女達は違っていたように思います。
 メンバーは仲間ではありますがライバルでもあり、常に一席を争う立場にいるので緊張状態におかれているわけです。日頃から本気の戦いをしているのです。
 そして総選挙では、なりふり構わず本気で真正面から、自分の本心をぶつけてくれました。私達は、その一途で一生懸命な心に触れて感動したのです。

 

 私は日々たくさんのお母様にお目にかかり、子育てについてお話を伺います。皆様大変お優しくお上品な子育てをしていらっしゃると感じます。かつて私がそうであったように、親として女性として「どうあるべきか」という理性が強く働き、人間としての必死さやなりふり構わず無我夢中になって取り組む本気の姿を、子ども達に見せないようにしていると感じるのです。もしかしたら気づかぬうちに、スマートに物事をこなす完璧な親の姿を見せようとしているのかもしれません。

 

 そんなことを考えていた時、教育評論家で八洲学園大学客員教授の川越淑江先生の近著『よりよい親子関係を築くために』(2011年勉誠出版)の9ページに、『親の姿は教育の本道である』という言葉を見つけました。「庭訓(ていきん)の教え」について書いてありました。   
 「庭訓の教え」とは、
孔子が、子伯魚が庭を通った時、孔子に呼び止められ、詩と礼の大切さを教えられたという「論語季氏」の故事からきた、家庭の教訓や家庭教育(家庭内で子に教育すること)(広辞苑より)、そして有識者が作法を教え指導すること、親が子に与える教訓のことをいうのだそうです。

 

 人は大人へと成長する時、親から庭訓の教えで人としての生き方を学びます。庭を掃く姿を見て掃き方を学び、感謝する姿を見て、感謝する心を学ぶのです。また、謝る姿を見て謝り方を、夢や願いに向かい必死に努力する姿を見て、夢や願いの実現の為に一生懸命全身全霊で努力することを学ぶのです。

 

 そこで今回のAKB48の総選挙から、子育てに生かせる学びポイントを考えてみました。

 「親が本気で必死に取り組んでいる姿を子ども達に見せる」
 「子どもの心の中に何を育てるのか」

 237
名の立候補者は、私達に本気で取り組むことの大切さを教えてくれたのではないでしょうか。また
彼女達のスピーチからは、心の中に込められた思いの大切さを学ぶことができました。

 一般的にあのような感情が高ぶり緊張する場では、心のコントロールがきかなくなると考えられます。それだけにスピーチに人間性がストレートに出てしまうのです。涙ながらにファンへ感謝を伝える人、順位に納得がいかないというような発言をする人など、各自の心の中に込められた思いが現れていました。その人が日頃心に何を思っているのかが見えたのですね。

 これからは人としての完璧な姿を子ども達に見せることに力点をおかず、必死になって取り組む姿と達成した時の感動や感謝の心こそ見せていこうと思います。子ども達の心の中に、人の役に立つことの素晴らしさを育てていきたいと思います。

 

 多くの国民に元気を与えてくれるAKBのますますのご活躍と皆様のご家庭の幸せを心から願っています。

 

2012年6月11日

家庭教育アドバイザー・家庭教育師

副理事長
家庭倶楽部主宰・学校法人八洲学園理事
日本家庭教育学会常任理事・NPO法人いばしょづくり理事
和田みゆき
家庭教育ブログ「家庭の力」
http://ameblo.jp/miyuki-lifestyle/

 


江戸の知恵から子育てを学ぶ

 

 「江戸しぐさ」という言葉をご存知ですか?私自身「家庭教育」について多方面から学びましたが、それを実践的にどうしたら上手く多くの人に伝えられるかと考えていた時に出会ったのが「江戸しぐさ」でした。

 

 「江戸しぐさ」とは、江戸時代、江戸の商人たちが商売繁盛と人間関係が円滑に運ぶよう築き上げた行動哲学です。簡単に言うと「思いやりの形」とも言えます。基本に皆が互いに支え合い、助け合って、共に楽しく精神的に豊かに生きようとする「共生の思想」が江戸の町にありました。その「江戸しぐさ」の中には、子育てに関する知恵もたくさん含まれています。

 

 江戸では、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」というものがあります。江戸の子どもの段階的養育法を教えた言葉です。子どもの養育に大切なのは、成長段階に応じた時期での養育法であると考えられていました。

 

『三歳までは心を育み

六歳になるまでに手取り足とり口移しで繰り返し真似をさせ

九歳までにはどんな人にも失礼のないものの言い方で対応が出来るようにし

十二歳では文が書けるようになり、十五歳では暗記ではなく物事の理屈を分かるようにさせるのが親の務めである。』越川禮子「三六九の子育て力」,2008, ポプラ社, p14

 

 このように考えて、親や周りの大人が手本となって、町ぐるみで子どもを育てていこうとしたのだそうです。

 

 さて前置きが長くなりましたが、私が「江戸しぐさ」を学ぶようになり一番最初に実践し、そして感銘したのは「往来しぐさ」のうちの一つである「傘かしげ」です。傘をさしたまま狭い道を歩くと、すれ違う時に傘がぶつかってしまいます。そのような時、傘の雫が相手にかからないようお互いが少し傘を外側に傾けて往来するのです。この「傘かしげ」を知る前は、相手が「邪魔だな」という態度で今にもぶつかりそうな勢いで向かって来たとき、嫌な思いをすることが多かったのですが、「傘かしげ」に出会ってからは、ちょっと自分が気を使って傘を斜めにするだけで気持ちよくすれ違う事が出来る事を知ったときでした。もしすれ違った相手の方もこの「傘かしげ」を知っていたら、もっと気持ちよくすれ違う事が出来たことでしょう。

 

「往来しぐさ」には、他に混み合った電車などで皆がこぶし一つ分腰を浮かして席を詰めて席を作る「こぶし腰浮かせ」や狭い路地ですれ違う時互いが胸と胸が向き合わせて身体を斜めにする形ですれ違う「肩引き」などがあります。このようなことを普段から大人が実践し、その姿を子どもが側で見ていたらどうでしょう?自然と大人の真似をし、身につけていくことでしょう。 このように、日々の行動、日々の言動を親が子どもに見せながら、挨拶、お礼の言葉、生活習慣などまずは親が手本となったのです。子どもはなかなか親の通りにはなりませんが、親のした通りにはなるものなのです。

 

 子育てに迷った時、ちょっと先人の知恵をお借りして実践してみるのはいかがでしょう?「江戸しぐさ」は、躾の基本は「思いやり」です。その数は1000種類以上とも言われています。きっと優しく思いやりのある子育てが出来そうではありませんか?

 

201264

家庭教育アドバイザー

NPO法人「江戸しぐさ」正会員 

坂本 有希子