家庭教育支援協会
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学期の切り替わり時期には、親子で振り返りを

 3月4月というのは、卒業進級進入学の時期ですね。子ども達にとっては、一年で最も気分を新たにしやすい時期、生活習慣を改めやすい時期でもあります。

 私が主宰する子育てを学ぶ親のための講座「家庭倶楽部」では、この時期に、必ず親子で「生活習慣の振り返り」をしてもらっています。今日はその方法について、お伝えしたいと思います。

 それは
『新学期を新たな気持ちで、ワクワク過ごす為の(親が子どもにかける)魔法』
であり、自己肯定感をしっかりつける方法でもあるのです。

 この「振り返り」の目的は、前年1年間を事実のままに子どもに反省させることではありません。子ども達が新たな気持ちで、新学期をワクワクしながら迎えらることができるように、気持ちの切り替えをすることにあるのです。ポジティブな思いで新学期に臨めるよう『やる気にさせる』ことが目的です。
 ですから、子どもができなかったこと・やらなかったことにばかり注目するのでは、お子様のやる気を引き出せません。「どうすれば自分が思うようにできるようになるのか」と考えさせることに着目していきます。

 さぁそのやり方についてお話致しましょう。

 まずはお子様に、この1年間を振り返り自分が「できた!」と思う成長ポイントを聞いてみてください。もしお子様が「できた!」点を見つけられない時は、どうぞ親御さんから見た「できた!」ポイントを話してあげてください。
 
 例えば
朝一人で起きられたこと、お風呂で身体を上手に洗えるようになったこと、弟妹の面倒をみたこと、お友達に優しくできたこと、ご老人に敬意を表し労ったこと、お買い物のお手伝いをしたこと、病気にならなかったこと、無遅刻無欠席、計算が速くなったこと、習い事の上達、成績があがったこと…等、どんなことでもいいのです。努力したことでなくていいのです。無意識にできたことだっていいのです。

 さらに「笑顔がたくさんあった!」「ごはんを残さず食べれるようになった!」こういうことだって、子どもが1年間積み上げてきた成長の証です。

「できたこと=成長したこと」

をお子様に気づかせてあげて下さい。

 次に「できなかった」と思うことを聞いてみてください。
「できた!」ポイントを探した時と同様に、お子様が「できなかった」ことを見つけられない時は、「お母さんから見ると、あと少しで○○ができるようになったと思う」「ママは、あなたならあと少しで○○ができたのではないかと思う」というように、「結果としてはできなかったけれど、あと少しでできたのではないか」という観点で話すことが大切です。

 「あと少しでできたかどうかなんてわからないのだから、いい加減な発言ではないか」と思われるかもしれません。でも考えてみてください。ここでの目的は、できない自分を自覚させることではなく、できる自分を自覚させることにあります。
 つまり親の全ての発言は「できる」を前提にしていくのです。そして「あと少しで」はとても大切なワードといえるのです。

 そして仕上げには
「新学期はどう過ごしていくのか」
これを子ども達に考えてもらいましょう。

 この時のポイントは、「私達親は、子どもが話し終わるまで、じっーと黙って聴く」ことにあります。カウンセリングでいう傾聴です。
 そして相槌は「なるほどね」「そう考えているのね」という程度にすること。
 
 子どもと親の時間間隔は違います。そして親が考える内容と子ども達が考える内容には、経験値の差からくる相違があるので、子ども達に考えさせる時間をたっぷりとることが、ポイントになります。

 私達親の役目は、子ども達がよりよくなれる自分に気づいて、その姿を十分想像し、ワクワクした気持ちで新学期を迎えるサポートをすることであり、『親が言いたいこと、思ったことを言う』のではなく
『子ども達の心に何が伝わったのか』に着目することが、大切なのではないでしょうか。

 是非親子で振り返りをしてみてくださいね。お子様だけでなく私達親も新しい春を迎えましょう。

2012年3月26日
副理事長
家庭倶楽部主宰・学校法人八洲学園理事
日本家庭教育学会常任理事・NPO法人いばしょづくり理事
和田みゆき
家庭教育ブログ「家庭の力」
http://ameblo.jp/miyuki-lifestyle/


絆凧

 私の俳句の弟子である澤浦照子さんが年末の句会で、「人の世の冬めく空に絆凧」という句を披露した。1月23日に未明より降り出した雪で東京の列車は混乱した。
 今年は雪が例年よりも多いようで、昨年の3月11日の東日本大震災で被災された方々はもっと苦労されておられるであろう。3万人近く亡くなられた方々、仮設住宅で生活されておられる方々、ともにその心中はいかばかりであったろうかという思いを寄せるしかすべはない。澤浦さんもこの地の出身の方で、大切なご親戚の方を亡くされた。

 昨年は「絆」という言葉に多くの方が思いを致した。無縁社会といわれていた繁栄が一瞬にして崩壊し、人々の結びつきがいかに大切であるかということを痛切に思い致した。復興に向けて、自衛隊の方々、消防隊の方々、多くのボランティアの方が被災地に出向き、黙々と被災跡を片付けておられた。

 「おかあさん、おげんきですか、生きていればいいね」、と書いた四歳の女児の子どもが忘れられない。家族の大切さ、家庭の大切さが改めて思い知らされる出来事であった。被災地の瓦礫は多くの人達の力で片付けられたが、家族を失った方々の思いは癒えることはない。肉親の方を失った思いは、想像で物言えるものではない。傍から「早く元気を取り戻して下さい」と申しあげても、それは虚しい同情の言葉でしかない。私は何ができるのであろう。

 天明3年(1783)に浅間山が大噴火を起こし、これが富士山、開聞岳と次々と連鎖した。浅間山から流れ出した溶岩は、鎌原村全部を埋め尽くしてしまった。これは現在、「浅間の鬼押し出し」として目の当たりにすることができる。477名が土石流の犠牲となってしまった。勘定吟味役根岸鎮衛は関東の奉行、代官、役人の総指揮を執り、復興に当たった。

 根岸鎮衛は、生存者をまず救助し、命のある人、生き物など犬猫に到るまで救出した。怪我をしなかった者や、比較的に怪我が浅い人達を集めて、別の土地を開拓開墾に当たらせた。新たに切り拓いた土地が、現在の群馬県吾妻郡嬬恋村である。開拓開墾を進めながら、年格好や気持ちが通じる者、他家の子供で親を失った子供達を加えて家族を作らせた。復興が進むにつれて家屋を造り、「新しい家族」を入居させた。こうして新たな家族・家庭は今に至るまで嬬恋村で村落を作っている。

 家族・家庭を失った辛い思い、悲しい思いを新たな村の名前にした。「吾妻郡嬬恋村」にその思いを象徴させ、新たな家族の出発としたのであった。その後、根岸は、被災地から亡くなった人の遺骨を拾うために、溶岩帯を切り拓いた。これが今日残る、一度は埋まってしまった鎌原村で、これも鎌原村として現在も村は営まれている。どうしても取り除くができなかった溶岩流は、今は「浅間の鬼押し出し」として研究され、一部は観察地となっている。

 復興で大事なことが「絆」であり、人々の結びつきであることが今、確認されつつある。復興に携わりながら、新たな若者の結婚も報じられている。それは大変嬉しいことであると同時に、若い人に限らずご老齢の方に至るまで、昔根岸九郎左衛門が取り組んだように、「新しい家族・家庭をつくる」ということも大事なことのように思われる。

 勿論、亡くなられた方への思いは消えることのない悲しい思いであるが、その悲しみのために自からせっかく助かった命を捨ててしまう人がいるのは、とても残念なことである。家庭教育アドバイザー、家庭教育師の方は、このような手助けをできる立場にもある。家庭の絆、家族の絆をもう一度築きあげるための手助けや援助にも力を貸して上げてほしいと思うのである。

 私の俳句の弟子は、きっとそのような思いを込めて、

   人の世の冬めく空に絆凧

と詠んだのであろう。凧にそう書いてあったのだ。

2012年3月19日
顧問
八洲学園大学 家庭教育専攻教授
中田 雅敏


道徳教育の基本は家庭にある

 この4月1日から実施される新学習指導要領の「道徳」について、家庭教育の立場から考えてみたい。

 道徳内容の4視点24項目のうち今回とくに加えられた項目は、「社会の秩序と規律を高めるように努める」という秩序遵守の項目である。現代社会の規範意識の低下という現象に対応したものであるが、しかし規範意識の低下は順法精神だけで片づくものではない。溺れた人間を救う、線路に落ちた人間を救う行為は、法律以前の人間の根本感情に支えられている。規範意識の根底には「他者への思いやり」がある。しかしそういう項目は指導要領にはない。

 それから4視点のうちの一つ「自分自身に関すること」の項目をみると、内容としてあげられているのは、「生活習慣を身につける」、「高い目標を目指す」、「自律の精神を重んじる」などで、人ごとのような著しく客観的な記述である。「自分を愛し、尊重する」という自尊の感情については何もふれられていない。規範意識は、他者への尊敬と自分への信頼がなければ生まれないことだ。しかし、家庭で基本的な態度ができていない子どもに対して、学校で道徳を教えることはできないから、この「他者への愛」と「自分への愛」といったことは、本当は家庭教育の中で育まれるべき情操かもしれない。

 精神医学者ボウルビイは、子どもの時期の母親からの愛の体験が、「自愛(自尊)」と「他者への愛」の基礎を作ることを強調した。相互的な倫理性の基礎がこの時期にはじめて築かれるのである。もし母親への愛や人間への愛が芽生えず、他人の気持ちとの通路が遮断される場合、人格性は致命的な傷を負う。だから母親の愛はすべての愛の原型であり、決定的なものだ。

 しかしこういえば、現代では、それは母親を良妻賢母の枠内に閉じこめる身勝手な考え方だ、といわれてしまう風潮にある。母親の愛の強調が女性の矮小化や蔑視とみなされたり、道徳は教育になじむのか、むしろ自然発生的なものだから作為的教育は不要ではないかという意見についても、まだ決着がついていないままである。学校の道徳教育を支えているのは家庭の道徳教育であるが、これは、家庭像の変質の中にあっていま大きな岐路を迎えていると思う。

 いま大切なことは、難しいことだが、家庭における道徳教育の方針を学問的に作っていくことであろう。道徳教育は可能かを問う前に、道徳そのものとは何かということから議論を始めていく必要があるかもしれない。


2012年3月11日
顧問
八洲学園大学教授
水野建雄

 


「迷惑をかけないこと」と「生きること」

 今回は、本当はもっと違うことを題材にしようと考えていましたが、思うところがあり変更しました。

 それは、最近改めて身近で感じたことがあるためです。2012年1月28日に行われた家庭教育支援協会の「ファミリーコミュニケーション運動」に参加して、皆さんのご意見を伺いながら「人に迷惑をかけないこと」と「生きている限り、迷惑をかけずにはいられないこと」について、久しぶりに感慨深くなりました。

 日本人の多くは、恐らく子どもの頃に家族の誰かから「人に迷惑をかけないようにしなさい」と言われたことがあると思います。また言ってもいると思います。少なくとも、このHPを見ていただいている方はきっと、初めて見聞きした、と言う方はいらっしゃらないと思われます。

 そして何かしようと思ったら人に迷惑をかけない範囲で行動するでしょう。子どもの頃から聞かされていることですから、心が健康な人は、大抵罪悪感なしには人に迷惑をかけることはできないと思います。それが子どもでも大人でも、社会で生きていく最低限うまくやっていく条件のひとつです。破ろうと思ったら、大なり小なり抵抗感があるのではないでしょうか。

 私には当然のことで、あえて意識するものではありませんでした。無意識にお任せです。

 しかし、身体でも心でも、どこかしら不具を抱えてしまった人は、「迷惑をかけるなら私なんか死んだ方が良いんだ」と言います。

 家族など周囲の人にしてみたら、どんな姿でも、どんな苦労をかけられても、生きていてくれるだけでありがたいと思うものです。そして、直接的・間接的にそのように伝えもするでしょう。

 それでも、「迷惑をかけるくらいなら死ぬ」と繰り返され、お互いに苦しいことになります。怪我や病気で身体が悪くなった場合には、症状が快方に向かえばそのような発言は減り、やがて日常には言うことはなくなります。しかし、心を病んでしまった人は、その思いに囚われて容易には抜け出せません。

 「人に迷惑をかけてはいけない」と、自分を戒める気持ちが強すぎてどのように言えば分かってもらえるのかと考えますが、どのように言っても病気の間は理解してもらうのは難しいのですよね。とにかく受け容れて「生きていて」と伝えるしかありません。

 「人に迷惑をかけない」と言いながら、実は生きている限り、誰でも何某かの迷惑を誰かに、また何かにかけないではいられません。

 迷惑だろうなと思いながら「お願いします」と頼んでみたり、良かれと思ってしたことが相手には有難迷惑だったり、喫煙者と嫌煙者の関係や、諸々もろもろ意識/無意識で迷惑をかけざるを得ません。
 また、相手によって迷惑だと感じることも違うでしょう。相手が地球だったら削ったり穴を開けられた挙句に人工物を突き刺されたり、せっかく水を浄化しても人間は汚して返してくるし、二酸化炭素や排気ガスやで大気は汚れる上に地球温暖化なんてことにもなっています。一生懸命になればなるほど、迷惑をかけることも増えたり、気づかなくなったりもするでしょう。

 それでもよほど「迷惑をかけられた!」ということでもなければ私たちは折り合いをつけて生きていきますし、地球は許してくれるのです。



 そう考えていると

「人に迷惑をかけてはいけません」と同時に「許してくれる存在があることを忘れずに感謝して、いつか誰かに恩返しをしましょうね」

 そんなことも伝えていくことが必要な時代なのかな、と思ったりもする今日この頃です。

2012年3月5日
理事
田光 江実子


自己紹介

 はじめまして。

 埼玉県の白岩と申します。
 10年近く、本協会理事の松本美佳先生のもと、「チャイルドケア」を学ばせていただいています。松本先生の、家庭教育支援協会でのご活動を伺い、「家庭教育」に興味をもち会員となりました。

 「チャイルドケア」の学びの中で、「家庭」のありかたについてあらためて考え、振り返る機会が多くありました。
 自分の育ってきた「家庭」、夫の育ってきた「家庭」、そして現在進行形の「家庭」、それぞれに別の個性があり、それぞれ居心地の良い場所です。

「居心地の良い場所」

というのが、家庭のひとつのキーワードだと思います。

 反抗期の子供たちも家族に反抗しつつも、安心できるのか、家が好き、と言います。
 自分たちの育っていく中での良い思いや、思い出と、経験を受け継いでいってくれることを子育てに期待しているところです。
 親子で、家庭の中の経験を増やすこと。心がけていることです。
 五感で触れ、思い出に残る季節の食卓、行事、遊び・・・、家庭の文化だと思います。

 今、私は、主婦・母として、アロマコーディネーター・チャイルドケアコーディネーターとして経験と学びの中からできることを、仲間同士での親子イベントの企画や、地元行政のイベントへの出展を通して提案し始めています。
 活動を通して知ること、感じることは、核家族化で伝承者も引き継ぐ側も安定した家庭の経験が少なく、理想の「家庭」が想像の中で一人歩きし始めているのではないか、ということです。

 「家庭教育支援協会」という器が家庭の文化を伝えていく「大きな家庭」であると感じ、安心できる家庭を増やす担い手として、今後、先生方のご活動や講演・講座などにも参加させていただき、自分自身の経験を深めていきたいと思っております。

2012年2月27日
日本アロマコーディネーター協会アロマコーディネーター
チャイルドケアコーディネーター
白岩 暖美