家庭教育支援協会
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「作る人」と「食べる人」の顔がわかる料理

 現在、私はある食品メーカーで自社製品を使った新しいメニュー開発や、飲食関係者向けの料理を展示する仕事をしています。
 そのため、会社ではデスクワークよりキッチンで料理をする時間のほうが圧倒的に長い毎日です。

 そんな私を見て、「仕事で料理をしていると、家で料理なんてしたくないでしょう?」と聞かれることがあります。でも、答えは決まって「NO!」。
 もちろん、平日は帰宅が遅いので、家で料理をするのはどうしても休日が中心になってしまいますが、休みだからといって、料理をしたくない、台所に立ちたくない、と思ったことはほとんどありません。
 会社で作る料理もやりがいがあって好きですが、それ以上に家での料理は気持ちのいいものですし、仕事での料理と家での料理は全く違うのです。

 その「違い」とは何なのか?

 はじめは緊張感があるかないかの差だと考えていました。
 仕事での料理は、(十分のびのびと創作させてもらっていますが)責任を伴うので、大きな失敗をしないか、求められているものに沿っているか、といったことを意識しますが、家での料理は、そうした張りつめた感覚は当然ありません。
 しかし、最近では緊張感の差だけでなく、もっと明確な「違い」があることに気づきました。


 それは
「食べてくれる人の顔」が見えるか見えないかによって、料理をする時のこころの入れ方が変わってくる
ということです。


 残念ながら、仕事では誰かに食べてもらうための料理はほとんどありません。ですから、料理をしている時に特定の人の顔を思い浮かべることがないのです。そうすると、味より見栄えにこだわりがちで、どんなにいい食材を使っていても、その食材が生かされていない気がして、申し訳なく思うことがあります。
 それに対して、家での料理は、自分も含めて食べてくれる人がいます。そして、食べる人が美味しいな〜、嬉しいな〜と笑顔になっていく姿を想像しながら作ります。すると、料理がもっと楽しくなるばかりか、じわじわと優しい気持ちが生まれて、使う食材にも感謝しながら真摯に向き合えます。だから、家での料理は私にとって貴重な時間なのです。


 近頃スーパーなどで「○○さんが作った大根」、「○○さんが育てた牛」といった、作り手の顔を写真入りで載せた商品をよく見かけます。
 生産者(作り手)の顔を明確にすることで、消費者に安全や安心をアピールできるからです。

 食事もそれと同じで、作った人の顔の見えない食事は、その時はおいしく感じても、余韻に浸るほどの感動はありませんが、作った人の顔がわかる食事は、安らぎや温かみがあって、その時の感覚や記憶はずっと残ります。
 そしてまた、作る人にとっても、食べる人の顔がはっきりとわかると、より一層こころを込めて料理をすることができます。特に、身近な家族や友人のために作る時はなおさらその気持ちが強くなるのではないでしょうか。
 作る人のこころが込められた料理を食べると、食べた人にもそのこころが伝わると信じています。さらに、そうした食事を家庭で繰り返すことで、家庭の「和」も育まれていくのだとも感じています。


 あなたの日々の食卓の中に、作る人がわかる料理、食べる人のわかる料理はいくつ並んでいますか?

2012年2月20日
理事
家庭教育アドバイザー
フードコーディネーター
食育アドバイザー
丸山 美輪子


いのちは続く

 3月に長男が結婚します。年が明けて何やら準備にあわただしくなってきました。私も親として初めての経験です。自分の時はどうだったかしらと思い出そうとしましたが、さっぱり覚えていないのです。二人に何かアドバイスをなどとても言えません。けれど二人は式場からその段取りまで係の方と相談しながら進めている様です。だから私があれこれ心配する必要もなさそうです。

 さて、私には一人暮らしをしている母がおります。御歳九十歳。この頃日に日に認知は進み、長姉と二人でしょっちゅう様子を見に行かなければなりません。午前中の出来事は午後ななると昨日の出来事になり、今日が何月何日なのかわからないのでカレンダーは意味を成しません。その見事な忘れっぷりに二人とも呆気に取られ、思わず笑ってしまうほどです。けれど本人もそれは自覚していて「どうしてこんなに忘れるのか時々悲しくなるの」と言われるとこちらも切なくなります。けれどその悲しさもまたすぐ忘れてしまうのです。

 私はちょうどこの二人の間にいます。あたり前の事ですね。でもこのごくあたり前の事が、あたり前だからこそ、この頃何かとても愛おしい気持ちになります。親と子、子が親になり、それが繰り返されていく。

 両親にもらった私のいのち、それが息子へつながり、やがて息子たちにも新しいいのちが授かる事でしょう。キラキラと光る宝石みたいなとても大切なもの。考えると心が温かくなります。

 いのちがつながっていく事。その中に当事者として自分たちが存在する事。感謝したくなります。

 そう考えて、母との残り少ない時間をできるだけ穏やかに共有しつつ、なおかつ将来の自分をシュミレーションしてボケないように頭の訓練をしようと思っています。

2012年2月13 日
 理事
家庭教育アドバイザー
攝待 逸子


幸福感を持続させる「わざ」

 幸せな気持ちになると伸びる神経細胞があるのをご存知でしょうか?
 前頭葉の中の帯状回前皮質 ( たいじょうかいぜんひしつ )というところにある「 スピンドルニューロン 」 という神経細胞です。


 この神経細胞は、幸せを感じる脳のことで、一旦長くなると、どんな出来事があっても縮まないし、腐らないため、長い分だけ幸福感が持続するのだそうです。
幸せな体験を重ねるほどスピンドルニューロンは伸び続け、ストレスに対しても強い抵抗力を持つようになるのです。
 人間の生きる目的は、幸せを感じることにあると言っても過言ではないかもしれません。
 それならば、なるべくその幸せを大いに感じ、持続させたいものです。そのためには、このスピンドルニューロンが長い方がいいのです。

 楽しく幸せだな

と感じる体験をたくさん積むことで、このスピンドルニューロンは良い刺激を与えられ、伸びます。その結果、ストレス耐性がつき、その後の人生に、とてもいい影響を与えてくれます。ニューロンを人間大にすると、たった一度の大笑いで、4キロも伸びるのだそうです。

 心掛けたいのは、幸せを感じる体験を「一緒にする」ということです。

 同じテレビを見ていても、ゲームをしていても、母親はじめ、家族の誰かとの関わり合いを通して体験することが大事です。人との関わりが少ないと、子供の知能はもちろん、心も順調に発達していきません。脳の本能は、他者との関わり合いを求めています。
 神経細胞の一つを取り出して良く観察してみると、必ず他の神経細胞との関わりを求めて伸びようとしている姿が見られるそうです。一方、全く刺激を与えなければ、その神経細胞は退化し、やがては消えてしまうそうです。この原理は細胞だけではありません。ですからなるべく、他者と関わりながら楽しい体験を与え、幼い頃からスピンドルニューロンを刺激し、伸ばしておきましょう。


 では、そのスピンドルニューロン、具体的にどんなとき、伸びるかというと・・・・・

 第3位・・・・美味しいものを食べたとき、綺麗なものを見たとき
 第2位・・・・達成感、充実感を味わったとき
 第1位・・・・一生懸命頑張ったとき、他人から褒められたとき

だそうです。
 他人から褒められたとき、というのは、子供だけではなく、大人でも嬉しいものです。子供にはもちろん、奥様やご主人に向けても大いに感謝を述べ、褒め、スピンドルニューロンを伸ばしましょう、きっと幸福感が持続するはずです。

2012年2月6日
理事
家庭教育アドバイザー
柳川 由紀


家庭教育支援活動をはじめて

 家庭教育支援活動を始めて一年が経過しました。準備から考えますと、いろいろなことを体験させていただき、会員の方々のパワーの力を改めて感じています。
 私は、今回子どもの基本的生活習慣を取り上げて考えたいと思います。

 昔は子どもが生まれると子ども中心に家庭の中が動いていたと思います。今は乳幼児の頃から保育園を利用されている家庭が多いので、親の時間帯で生活していることが多く見られます。
 私は17年間学童保育の指導員をしてきました。そこで感じることは、生活のリズムが整っていないまま、学校に入学する児童が大変多いことです。そして、学童生活に慣れてくると、多くの保護者から「家に帰ると子どもがすぐに寝てしまうので、学童保育の中で宿題を終わらせておいて下さい」まで要求してきます。保育園に登園するのは、起こしてすぐに自動車・自転車等で送っていき、帰りは保育園が閉演するぎりぎりまで預け自宅に帰っていくという状態の中で生活してきています。今度は、学校に自分の足で通学することは、条件が根本的に違うことを理解されていません。

 そこで感じることは、基本的生活習慣が身についていないことです。
 食事の仕方・衣類の着脱等は保育園で学習することはできます。しかし、基本的生活習慣の、食事・睡眠・排泄・清潔・衣類の着脱を乳幼児の時に、家庭でしっかり身につけることであると改めて思います。子どもが身につけていると、子どもも親もともに楽になると思っています。
 夜は早く寝かせ、朝早くに起きて、朝食をしっかりゆっくり食べてから、トイレを済ませてから行くという生活習慣が、身につくまでには時間がかかります。
 もう一度子どもを健全に育てるために、基本的生活習慣を付けることの大切さを認識して、子育てをしてほしいと思っています。

2012年1月30日
理事
家庭教育アドバイザー
民生委員・児童委員
城条洋子


悔しさを覚えて

 始めて八洲学園大学を知った時、私は「大学へ通うことができる」という希望をみつけることができました。
 それは八洲学園大学が、仕事をしながら学ぶことができると分かったからです。そして「家庭教育」という言葉と授業内容から、子育てをしている私は「これだ!」と感じました。
 子どもの頃、父にもっと自分を見てほしかったというコンプレックスから、私は父親になるのが夢でした。きっと自分がいい父親となることで、得られなかったものの穴埋めをしたかったのだと思います。そんな私は「家庭教育という勉強は、夢の実現の手助けをしてくれるもの」と直観したのです。
 しかし、いざ入学して学習を進めてゆくと、それを凌ぐ強い衝動が沸き起こりました。それは私の心の中で顕著に現われてきた悔しさでした。反社会的行動や非社会的行動によって、自らの人生の先行きを狭めてしまい、可能性を閉ざしてしまう問題行動を起こした子どもたちへの共感でした。
 大人のように経験があるわけではない子どもたちの一瞬一瞬は、一生懸命生きている姿そのものです。問題行動を起こす児童と呼ばれる彼らが、追いつめられた状況を自分の持てるだけの力を振り絞って命がけで脱出しようとしている姿は、自分の中で多くの共感を呼び醒ましたのでした。
 それは、彼らに悔しい思いをして欲しくないという強い願いでした。
 私は大事になるような問題行動こそ起こしはしませんでしたが、社会に出ようとしたその時から、過去の反社会的行動や非社会的行動とその結果が、自分の人生の可能性を小さくしてしまったのだと感じずにはいられませんでした。
 さらに私は、彼らの苦しみを理解することができ、彼らの気持ちを代弁することができるとも思いました。それらを伝えることで、彼らの気持ちを周囲に理解してもらえるのではないかと思ったのです。そして「よし。やろう。」そう思いました。
 

 今、彼らに社会に受け入れられないことをした時の失敗を伝えることができると思います。また、追いつめられた子どもたちがどうにもならなくなってしまう前になんとかしたいと思っています。
 前向きな姿勢で社会性を育んでもらえることを信じているからこそ、今より明るく自分らしく生きることができるようになってもらいたいという願い、私は仕事と学習の合間をぬいながら、現在、家庭教育課程にて児童期の家庭教育アドバイザー取得を目指しながら、その道を模索しています。
 彼らが悔しい思いをしないで済むように。

2012年1月23日
坂本忠幸