家庭教育支援協会
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おうちにかえりたい

 冒頭から季節外れの話題ですが、皆さんは今年の七夕の願い事はしましたか?
子どもの頃の願い事は思い出せますか?

 私は 八洲学園大学を卒業して、現在は3歳と6歳の子育てに追われる専業主婦です。
 結婚前は児童養護施設に勤めていました。職場結婚でしたので現在も夫を通じて施設の行事等で子どもたちと関わらせてもらっています。
 そこで今回は、私が施設の子どもたちとの関わりから感じた家庭教育についてお話させて頂くことにしました。

 
 タイトルの「おうちにかえりたい」は、毎年のように吊されるけれど、毎年違う子が願う短冊です。
 こちらの児童養護施設では。経済的な理由や親の精神疾患、虐待等の家庭の事情により適切な養育が困難となった2歳から18歳までの子どもたちが措置されて
います。措置理由は1つだけでなく、複数が複雑に絡んでいることも多いです。
元々戦争により親を亡くした子ども達の施設でしたが、現在は多くの子どもに親がいます。

 
親がいるのに一緒に暮らせません。

 
しかし、親自身が未熟であったり問題を抱えていても、周りに祖父母や友人、地域社会の気づきと支援が早期にあれば、養育環境も悪化せずに家庭で暮らせた
かもしれません。


 私が幼児を担当していた時、週末父親の家に外泊した子が嬉しそうに報告してくれました。「おうちでパパとカップラーメン食べたよ」と。衣食住が確保され、
職員達が愛情一杯注いでも、その子が望むぬくもりは親であり、望む居場所は「家」でした 。

 「親」とは何でしょう。「家庭」とは何でしょう。
  親との愛着関係が歪んでいたり希薄な子ども達の中には、人見知りなくべったり甘える子もいれば、暴言を吐いたり物や他の子や職員に当たったり、時に自
分も傷つけたりする事も少なくありません。
 相手の事を本当に信じられるか試してきます。自分の存在に価値を見いだせず自信も持てず、愛され方も知りません。信じて失うのが怖いからこれ以上自分が
傷つかないように自分を守ります。生まれて親から無条件で受ける無償の愛情は生きる心のエネルギーです。
 そして、どんな事情を抱え傷ついていても学校や社会の一員として生き抜いて行かなければなりません。家庭で親子一緒に暮らす子どもたちと。不十分な養育
環境の元で過ごしたために、コミュニケーションスキルの欠如、学習の遅れや不適応等の問題も抱えながら…。
 進路や卒園後の自立までを含めて外の現実社会は厳しいです。親子の信頼関係を元に行われる家庭教育は、生活習慣の獲得だけでなく価値観・倫理観にも影響
を与え、長い人生にわたって身についていくものです。

 それでは、施設で過ごす子ども達に私たち社会ができることとは何でしょうか。
 私は親子関係の修復、家庭環境が改善し帰ることが叶うことが1番だと思いますが、残念ながらすべての子が家庭に帰ることは困難な状況にあります。
 施設職員の役割は重要で多岐に渡ります。限界もあります。そこで職員の力だけでなく地域や社会との連携が必要とされます。こちらの施設では地域の行事へ
の参加や希望すれば高校生はアルバイトも許可されており、子ども達は社会常識を学び、社会性を育みながら地域社会を信じることに繋がっています。


  「おうちにかえりたい」

 それは「安心できる場所」で「愛されたい人(親)」に「愛し愛されたい」という切ない願い。子どもの努力だけでは叶えられない願い事。
 親は唯一無二の存在、裏切られて悲しんでも憎みきれずいつかは…と信じて待つ子ども達がいます。
 親と社会の責任を痛感させられます。ありふれた家庭、何気ない日常の幸せと尊さを教えてくれます。

 出会った子ども達との縁を大切に、今後もすべての子が家庭で家族に愛され育つことができる社会に向けて、家庭教育の重要性を問い続けていきたいと思います。

2011年11月21日
家庭教育アドバイザー
矢部恵美子


誕生日

不惑を迎え2か月ほどたつ。十の位が変わる違和感もやっと治まってきた。いつの頃からか、ただの通過点となってしまった誕生日。。。でも、子どもにとっては、自分の誕生日ほどスペシャルで素晴らしい日はないものだ。

わが子は小学生3人であるが、誕生月が隣接している。ついでに(?!)夫も近く、私の誕生日だけが半年外れてポツンとある状態だ。我が家では、夫の誕生日である2月から、毎月ケーキラッシュとなるのが恒例である。

夫の次は次男。あんこものが大好きな次男のために、お団子を洋風ケーキのように仕立ててくれるという九州の店に、ネットで注文を出していた。が、地震…。おかげさまで我が家は特に被害はなかった。しかし物流が止まり、町から食べ物が消えた。

こんな時に誕生祝い?!と思われるかもしれないが、次男にとっては年に一度の自分が主役の日。やっぱりその日はその日なのである。せめてなんとかできないものかと、小さな食料品店の行列に並んだ。店内まであと少し…というところで、たった一つ残っていたホットケーキミックスを誰かが手に取ってしまった。。。

2週間後の末っ子の誕生日には、もうデパートも部分的に営業を再開していて、ちょっとした生菓子も手に入るようになっていた。さらに1か月後の長男の誕生日は、ほぼ以前と変わらない日常生活に戻っていた。

震災に関するボランティアというと、がれき撤去のような力仕事を思い浮かべる方が多いかもしれない。子ども向けの支援も各種あったが、衣服や絵本を贈る活動が目立った。私も自分にできることはないかとあれこれ情報を集めたが、この視点はとってもいい!!と感じたのが、「被災地で誕生日を迎える子どもたちにバースデーケーキをプレゼントしよう」というものである。

誕生日とは、その子にとって何物にも代えがたい特別な日。家族にとっても、その子の成長を実感する節目の日。非常時にケーキなんてぜいたく品を…と眉をひそめるのではなく、非常時でも何でも、あなたの成長を心から喜んでいる、とどの子にも伝えたい。

この拙いコラムを、皆さんはどこで読んでくださっているのだろうか。。。東北以外の地では、いまさら地震の話?!台風のほうが大変だよ!という状態かもしれない。今杞憂するのは、東北の子どもたちが将来、放射線量の高い地域にいたということで差別を受けないか…ということ。すべての子どもが平等に笑顔で誕生日を重ね、明るい未来を迎えられることを切に願っている。。。

 

20111114

家庭教育アドバイザー

沖由香子


ユエナーリスの言葉

 筑波大学に勤務していた最後の数年は、役職を果たすために多忙をきわめたが、その頃、「一度入院でもしてゆっくり休みたいものだ」と、ぼやいたことがある。健康に自信があって入院などほど遠いことだと思っていたので、そんな傲慢な言葉をはいたのである。

 今年の夏、大学時代の同級生から久しぶりの電話があり、しばらく話した後で、70歳の誕生日を迎えたばかりのその友人は「70歳は、力衰え心も萎え始めるというイメージがあったが、今はそんなこととはまるで無縁で、60歳代とほとんど変わらない快調さだ。70歳なんて大したことはないよ」と息巻き、こちらも調子を合わせて、「そうだよ、70歳など気にしないで豪快に生きよう」と応じた。

 
しかし秋になって、1ヶ月ほど入院する羽目になった。突然のことで本当に驚いた。幸いなことに主治医の適切な処置で大事に至らず完治して退院できた。退院の時には医師と看護師のありがたさが身にしみて神々しく感じたが、同時に人生観が一変した。健康にいい気になって「入院でもしたいものだ」とか「70歳など問題ではない」と大言壮語して、健康に傲慢になりすぎていた自分に気がついた。ギリシア悲劇で語られる「ヒュブリス」(傲慢)に対する運命の「ネメシス」(報復)という言葉が頭に浮かんだ。健康それ自体はいいことだが、それについて傲慢になってはいけないのだ。

 2世紀初めを生きたローマの風刺詩人にユエナーリスという有名な詩人がいる。彼はこういうことを言っている。

「神々から何かを求めたいというなら、こう願うがよい。健全なる身体に健全なる心を宿らせてくれと。死の恐怖にも平然たる剛毅な精神を与えよと。人生の最期を自然の贈り物として受け取る心を、サンダナパッスルの色事や饗宴の羽蒲団よりも、ヘーラクレースの試練や残酷な積苦を進んで選ぶ心を願え。」

「健全なる身体に健全なる精神が宿る」という言葉は、本来は、「宿らせてくれ」という神への願いである。この祈りでは、生きている間は「健全な心」をもち、死に直面しては「剛毅な精神」をもつべきことが示されている。

「健全な心」とは「謙虚な心」ということである。いかに健康な状態といえども、つねに病や死に陥る可能性を宿しているから、その可能性を謙虚に見つめ自覚することが大切であって、健康を当然のことのように思うのは、むしろ傲慢な生き方なのである。

 ユエナーリスの言葉は、健全な身体の状態のうちを生きている者は、限りない謙虚な心(健全な精神)をもち、健康に感謝しつつ生きるべきことを教えてくれる。

(近況報告までに)

201111月7日
顧 問

水野建雄

八洲学園大学 教授


家庭における免疫教育の必要性について

 「人生は有料道路!」 この言葉は、私が20代の時に某保険会社のPRビデオで知ったのですが、印象深くてずっと記憶に残っています。

 

 あたりまえのことですが、生きてゆくにはお金がかかります。それは、私たちが一人では生きていけないからです。どうしても他力、他人の力を借りなければなりません。力を借りるとなるとタダというわけにはいかず、有料となるわけです。

 

 力を借りるという他力のひとつに「命」があります。

 

 植物は独立栄養生物ですが、人間は従属栄養生物です。植物は水と空気と土と光があれば生きられますが、人間という生き物はそういうわけにはいきません。食物を食べなければ生きられないのです。食物は植物や動物です。彼らを殺して、その命をいただいて生きているわけです。

 

 生きるということは他を殺すこと、そして、その命をいただくことです。日本人が食事の前に合掌して“いただきます!”というのも納得です。命をいただくわけですから、申し訳ない、ありがたい!と、感謝するのは当然のことです。

 

 そして、命を捧げてくれた生き物類に借りを返さなくてはいけません。それにはそれなりの代償を必要とします。

 

 他力についてもうひとついえば、「命を育む自然」です。現代文明の恩恵を受け、豊かで便利な生活をエンジョイしている私たちは、いつしか本当の自然を忘れ、自然から離れた思考をしています。人工的な生活での主たる関心事は便利で楽しいこと、そればかりを追い求めると本当の自然からますます遠ざかります。

 

 「なる」という言葉がありますが、「なる」とは、人間の力ではどうにもできないことを言うようです。

 

 「リンゴがなる」といいます。人間の力ではリンゴそのものを作る(創造する)ことはできません。リンゴが欲しければ、野生のリンゴを探すか、タネを撒いて育てることしかできません。タネを撒けば一定の時期が来ればリンゴの実がなることでしょう。成ってくれるのです。なるということはあたりまえのようですが、実はすごいことなのです。

 

 こういった自然を守ることは私たちの責務と考えます。

同様に、すごい!といえば出産もそうです。女と男が生れてから出会って、そして結ばれるまでの確率は、遡って数えると気が遠くなるほどです。卵子と精子が結合する確率もしかり。さらに、1個の卵細胞が10ヵ月後の出産時には1兆個に、成人になるまでには60兆個にもなるのです。日本の国家予算に匹敵する数です。その細胞がすべて正常に機能するとしたらすごいことです。

 

 しかし、すべての人が健康な道を進み、健康な死というゴールで終わるわけではありません。途中でダウンする人もいます。病人ルートへ反れて、病死のゴールへ向かう人もいます。病人ルートを進むならばどんなに急いでも健康な死というゴールにはたどり着けません。分岐点で迷ったら、病気と病人の違いを思い出すことです。

 

 どんなに検査しても病気が見当たらないのに気に病む、悩む人がいます。これは病人です。病人ルートを進んでいます。しかし、病気があっても悩まない、気にしない人は病人ではありません。病気を治療すればよいだけです。その人はまだ健康ルートを進んでいます。

 

 健康ルート、病人ルート、どちらも有料ですが、健康ルートの方がコストは安いです。

 

 それでは、健康人と半健康人、病人と半病人などをひっくるめて、健康人と病人との違いは何でしょうか? それは、一言でいえば「免疫力の差」です。免疫力が強い人は、たとえ伝染病が万延しているなかにいても平気です。病原菌に負けません。

 

 また、健康な人は病原菌を殺すことを考えたりはしません。病原菌との共存共栄を選びます。殺せば殺すほど耐性菌ができることは周知の事実です。病原菌にはおとなしくしてさえしていてもらえばいいのです。子供に人気のアンパンマンでいえば、バイキンマンを殺さないで、バイキンマンにおとなしくさえしていてもらえば平和と安心が保てるというわけです。アンパンマンの方が強ければそれで大丈夫なのです。

 

 私たちはオギャーと生れてすぐに、バイキンの洗礼を受けます。健康であればバイキンがあっても大丈夫なのです。バイキンを殺すことよりも、バイキンから逃げることを考えるよりも、バイキンに負けないからだにしておくことのほうがより重要だと思うのです。

免疫には、先天的な免疫(自然免疫)と後天的な免疫(獲得免疫)があります。免疫の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞したマクファーレン・バーネットは、「母親の食習慣が胎児の免疫作用に大きな影響を及ぼす」という仮説をたて、免疫は母体内で産生されるとしています。

 

 そこで気になるのが日本の現状です。未熟児の確率が先進国中最多という異常な事態です。10人中1人は未熟児(2500g未満)なのです。未熟児を追跡調査した結果、「低体重の新生児は将来太りやすく、生活習慣病にもかかりやすい」とも指摘されています。

 

 日本全体が、高コストの病人ルートにハンドルをきっている気がしてなりません。

 

 出生率の低下とあわせ、未熟児の問題は、もはや、母親だけでなく次世代的な問題なのです。

 

 私が、家庭における免疫教育が必要だとする所以です。

20111011

岩田一夫

日本セラピスト育成協会 会長

http://www2.tbb.t-com.ne.jp/green/

 


家庭教育とチャイルドケア

 私は、現在セラピストとして、また自然療法を伝える講師として活動しています。その中で、自分の育児経験を生かし、自然療法を家庭での中で取り入れ、ホームケアの向上を目指す活動に力を入れています。それが日本アロマコーディネーター協会で行っている「チャイルドケアホームワーク講座」です。すでに11年目となり、全国で延べ人数16000人以上の方が受講されていると聞いています。こちらの家庭教育支援協会の会員さまの中にも受講された方がいらっしゃいます。同じ思いを持つ仲間がいることは心強いことです。

 

 この講座を立ち上げた当初は、アロマセラピーやハーブ療法、東洋医学の考えを取り入れ、自然療法の知識や方法をご提案するものでした。しかし、私の伝えたかったことは、それらのツールを使いながら、包括的なものの見方や全体の中のバランスという本来の自然療法観をお伝えすることでした。

 しかし、知識を対処療法的に捉える方が多く、柔軟性に欠け偏っていることに気づきました。たとえば、「子どもが風邪をひきやすい」という問題に対して、すぐに風邪の症状を抑えることだけを考えてしまうのです。「咳に利くハーブティーは?」「発熱に良いアロマは?」という感じです。もちろんそのような使い方もありますが、風邪をひきにくくするための予防に何をすればいいのかという考えがないのです。自然療法でとらえる健康観は、モノを使う方法ばかりではなく、まず、生活環境を見直し、免疫力を高め、病気になりにくいからだを作ることです。さらには、柔軟性をもって、さまざまな対処ができる力です。それは、とても家庭教育に似ています。つまり、私自身、自然療法というツールを使いながら、家庭教育を伝えていたのです。

 まさに、そんな気付きと同時に「家庭教育」を幅広い分野から専門的に学ぶ機会に出会い、家庭教育アドバイザーとなりました。

 現在は、知識や方法だけではなく、家庭教育アドバイザーとしての視点からも、「ホームケア」にあるべき姿勢をお伝えしています。

 

 私の講師活動の特徴は、基本的に経験したことをお伝えしています。経験は、説得力を持ち、共感され、すぐに実践につなげていただけるのです。私と同じように、普通の「母」ができることを示すことで、それぞれの皆さんの思いに「やる気」が生まれるのです。つまり、私は皆さんの背中を押すだけにすぎません。それでも、一人ひとりが役割を感じ、一歩につながれば、それは大きな変化になると感じています。これからも皆さんと一緒に考え、改善していく姿勢を大切にしたいと思っています。

 

 私には、二人の子どもがいます。現在21歳と18歳となり、母としてもそれなりにキャリアがついてきました。また仕事柄、マタニティーのケアからターミナルケアまで広がっていることから、活動の幅も広がっています。そうした経験を生かし、現在、「育むケア」「見守るケア」「看取るケア」の3つの柱から「家庭におけるホームケア」を追求し、ご提案しています。

 私にとって、あくまでも「家庭」が基本で考えることは変わりません。家庭は命を育む場であり、命を考える場であり、命を全うする場としてとらえています。

 また家庭とは「家」という物質的なモノではなく、「家族」「地域」「環境」「文化」「伝統」なども含まれるものだと思っています。

 「家庭」は、笑顔を生み、力を作り、行動につながるものです。私は、すべての命が、地球を母に持つチャイルドと考え、「チャイルドケア」を提案していきたいと思っています。

 

20111024

理事

松本美佳

 

自然療法治療室 松本鍼灸接骨院 セラピスト

ナチュラルセラピースクール M's touch 主宰

http://mstouch.net/

日本アロマコーディネーター協会 チャイルドケア本部講師

http://www.childcare-jp.com/

 

著書「ママが癒すチャイルドケア」/ブラス出版

「わたしと子どもと暮らしのレシピ」/ブラス出版

 

地球と心と体にやさしい手作りショップ「お日さま&お月さま」を姉妹でやっています。

さまざまな視点で自分のこと、健康のこと、地球のことを考える機会をご提案したいと思っています。http://ohisamaandotsukisama.com/(おひさまあんどおつきさまどっとこむ)