家庭教育支援協会
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我が町の恥ずかしい現状

今日は私の住む地区での話をしよう。

情景を浮かべながら、読んでもらえると幸いである。

 

東急田園都市線で渋谷まで約40分、小田急線で新宿まで約50分と都心まで1時間で行けてしまうベットタウンである。ここは今、小・中学校は教室不足でプレハブ校舎が建設されている。少子高齢化ではないが、高齢化が進んでいないわけではない。単純に人口が増えていて「多子高齢化」という現象が起きているのだ。

 

では、近隣の公園の様子を覗いてみる。

公園は”開店休業”状態。時折、ブランコや滑り台で遊ぶ子、砂場で保護者の下、砂遊びを楽しむ幼児の姿は見かけるものの、小学生が公園でボール遊びをしていない。なぜだろうか。

公園の周囲には最近、できたばかりの真新しい戸建、「新築分譲住宅」が立ち並ぶ。公園ではボール禁止!なのだ。昔は畑や雑木林、栗林だったこの地域はここ数年、建築ラッシュが止まらない。政府の相続税対象額引き下げ政策もあってか、地主が土地を手放し、どんどん土地は売られ、住宅へと様変わりした。いや、現在進行形。まだまだ建築ラッシュの勢いは止まらない。

公園でボール遊びすると、民家にボールが入る。庭らしい庭もない民家ばかり。窓ガラスにボールが当たり、割れたり、また車にでもぶつけてしまったら、一大事だ。公園のそばに家ができたのに、そんな理屈は通らない。公園でボール遊びは禁止なのだ。ならば、校庭でと思うが、その校庭もプレハブ校舎で狭くなっている。運動会では保護者の観戦では立見席の区域ができるほど。午前7時の開門の頃には長蛇の列だ。近くのコンビニは喫煙所も兼ねている有様。午前7時に長蛇の列・・・おいおい、子どもは何時の登校だぃ?

放課後の校庭も学校側は放課後広場というルールを設定。その放課後広場に登録していないと利用できない仕組みのようだ。ほらっ、子どもが学校から帰って来ていないとかのトラブルもあるし、あと、1200人も児童がいるから、安全に公平に利用できるために。つまり、校庭も気軽に遊びへ行ける場所ではないのだ。もし、野球やサッカーをしたら、放送で注意される有様だ。

では、放課後、子どもたちはどうしているか。民間学童も多いので、放課後は学童で過ごしている子が多いようだ。学童で宿題をしてくる。学童の仲間と遊んで過ごす。学童の遠足、運動会もあるようだ。放課後の学校である。学童の次は学習塾へと行き場所を移り変える。長らく続く不景気の事情もあるが、政府が進める女性が働く社会作りも手伝ってパート環境が充実しているのだ。自転車圏内に幾つもパート勤めできる環境がある。パートで稼いだ収入は学童の費用や習い事へ消えているそうだ。ちなみに学童からの帰りは車でお迎えなんていうケースも珍しくなかったり。なんか、おかしくないか。

 

さぁ、6月。今年も自治会対抗のドッジボール大会の季節がやってきた。児童数も増加しているということは、チーム数も増え、万々歳と言いたいところだが、実は違う。土日は少年野球、少年サッカー、ラグビー、テニス、プール、新体操・・・まぁ、種類もたくさんあって忙しいこと。私が小学生の頃は野球とサッカーしかなかったような…。「もし、予定が空いていたら、参加します。」だって。確かに何を習おうが、習わせようが、自由だ。しかし、優先順位が地域のスポーツ行事は下というわけで。少年野球は地域行事に参加するなど冠婚葬祭以外で休んだら、レギュラー背番号剥奪なんていう厳しい方針だったり。それって、パワハラじゃないか?

そんな逆風の中でも、さすが、人口急増地域。過去最高の参加者数と本部発表があった。

 

毎週土日の午前2時間はドッジボールの練習という生活が始まる6月。

土曜の練習を終え、時代変われど、子どもの変わらぬ姿に救われ、日常の違和感は飛んでいった。翌日曜日。吹っ飛んだ違和感はブーメランのようにして戻ってきた。

子どもたちの体が重そう。筋肉痛なのか。基礎体力の低下に気づかされた。悲しいくらい。

そりゃ、無理もない。平日、公園でボール遊びもままならず、学童へ行ったり、習い事へ行ったり、子ども同士が約束して子ども同士が自由に遊ぶという習慣がないのだから。

パートへ出ているため、親のいない家へ帰宅し、親が帰宅するまで自宅待機したり、習い事へ出かけたり、親離れしていると言えば、そうなのかもしれない。仕事から帰宅した疲れた親は手料理を食卓へ並べることはできているのだろうか。スーパーの惣菜の充実度は侮れない。でも栄養バランスに不安は抱く。

そんな生活をしていて基礎体力が養われるはずがない。

低学年までは体も小さいし、行動範囲も狭いから、気づきづらいかもしれない。でも、高学年になり、交友関係が広くなり、「うちの子、体力ないなぁ〜」なんて気づいてからでは手遅れである。高校生、大学生になっても、高熱が出るという話をよく耳にする。基礎体力がないのだ。

栄養素は高いものばかり食べているから、背はそれなりにある。でも筋肉はない。細い。所謂、キャシャというものか。

そのドッジボール大会の反省会でのこと。

「高学年の女子がスマホをいじっていた。」

確かにいた。飽きる子どもにiPadを宛がう親もいたなぁ〜。数年前の自分なら、そのときに注意していたかも。でも、高学年(とはいえ小学生)にスマホを持たせる親に疑問を感じるし、スマホを持たせても地域行事へ行くのに持ち歩くことを認めている親へ憤りを感じる。子どもに罪はないんじゃないか。

いつの時代も子どもは親の背中をみて育っている。選挙に行かない親の子は選挙に行かない。タバコを吸う家庭の子どもはタバコを吸ってみたくなる。環境が人を育てる。子どもは好奇心の塊。当たり前のことだ。言うまでもない。

教育は学校教育、家庭教育、そして地域教育。この3つから成り立つ。

幸い、学校教育と地域教育はこの地区は基盤がしっかりしていると思う。私はこの地域しか知らないので、しっかりしていると信じたいというほうが正しい言い方かもしれない。問題は家庭教育だ。

子どもの躾は親の役目。でも親の躾は・・・。その親の役目?

地域で親も巻き込んで狂った感覚を正常化に寄せていかなければならないか。

 

以上が私の住む地区、我が町の恥ずかしい現状だ。でもこれは私は現代のこの国の縮図でもあると思う。だから、恥を千も万も承知で書き綴ることにした。同じことが起きている地域もあるだろうし、逆に子どもと遊びたくても子どもがいない地域もあると思う。

今、わが国はいろいろな問題が起きていて教育的に健全な状態ではないと思っている。

 

2016726

家庭教育師

疋田 也寸彦


親として子どもとして

先日まで実家の父が体調優れず、入院生活を送っておりました。
今まで倒れたことのない父にとっては人生初の出来事となり、とても気落ちしているのが目に見えてわかりました。
ベッドの上の父の手は、私の知っているじゃがいものようなゴツゴツとした記憶の手とは違い、白くてつやつやとして、その手をゆっくりさすり、包む、温める。小さくなった背中をなでていると、会話がなくても穏やかに寄り添うだけで親子の特別な時間を感じられました。
父の手を触ったり背中に触れたりしたのはいつ以来だったのだろう。
大きく私を見守り続けてくれた身体が今ではとても可愛らしく思えてくると同時に感謝の気持が溢れてきました。今まで私たちを育てて見守ってきてくれたことを今度は私たちが親へ返していくときなのだと。
そんな体調を崩していても父が心配するのは私たちのことばかり。
父の夕飯まで付き添う私の帰り際に「暗くなってきたから気をつけて帰るんだぞ。ひとりで帰れるのか?自分の家の夕飯の支度は大丈夫なのか。」と、もういい歳の私に声をかけてくれるのです。少し恥ずかしいような、けれども一瞬にして私自身が子どもに戻れる瞬間でもありました。
親はいくつになっても子どものことを想ってくれるもの。そして子どもはいくつになっても親の子なのでしょう。言葉のふれあい、手のふれあい、心のふれあいを今回のことで改めて感じ私自身が感じとったことをわが子に生活の中で伝えていくことが家庭教育の大切さだと学びました。
自分の家庭に帰ると母親。実家に帰ると子ども。私はまだまだどちらも楽しみたいと思います。


平成28年6月27日
日本アロマコーディネーター協会
チャイルドケアインストラクター
野澤 智恵子

 


家庭の変化の予兆

「恋愛しない若者たち 〜コンビニ化する性、コスパ化する結婚」(牛窪 恵著)を読んで、これから起こるであろう日本の社会の変化、家庭の変化の方向性をうかがい知ることができた。
 我々の世代にとって恋愛と結婚は一体であるとの考えが多く、出会った異性に甘酸っぱい恋をして、恋を成就して結婚し子どもを育てるという、生命保険会社や、引っ越し業者のCMのような家庭を築きあげることが理想である。日本の高度成長期を体験し、給料が経験とともに増えていく未来を描けた我々は将来家族を養っていけるだろうから、理想のパートナーを見つけて幸せな家庭を築こうと思った。しかしこれは私のような男から見た恋愛結婚観であり、今の若者を中心に違う考えを持つ人が大勢いるのではないか。そんなことを思い知らされた。
 
 パブル崩壊を機に、社会が大きく変化し、それまでの社会観、家族観が全く変化してきている。日本社会も日本経済も成長を止めたことから、将来の給料や経済力が今よりもよくなるとは思えない。そんななかでも生きていくためには、他者の経済的な支えが必要になる。そこで、多くの人が家庭を大切にするようになった。特に若者は、日本の社会や、日本の大人に対する不信感から母親に寄り添うようになり、母親に取り入ることで生活を安定させたいと思っている。しかし、父親はそうはいかない、母親だけである。家庭の中心に女が居る、そんな平安貴族のような家庭感が戻ってきている。男の子も女の子も母親とデートする。彼氏や彼女とのデートよりも母親とのデートの方が楽しいという。母親はこれを喜んでいるかもしれないが、気をつけたほうがいい。
 
 若者たちにとって恋愛はリスクである。告白しても振られて傷つくかもしれないリスク、付き合うのにお金がかかるリスク、セックスで子供ができるリスク、別れた相手がストーカーになるリスク、リベンジポルノのリスクなど、恋愛には様々なリスクがつきまとう。そんなリスクを負うくらいなら恋愛はしたくないという若者が多いというが、私は恋は素敵なものだから是非しなさいと言ってあげたい。恋愛はしないものの、若者の7人に1人には複数のセックスフレンドがいる。その相手は母親の好みには合わないと考えているので、母親に紹介しないし結婚しようとは思っていない。そのことを相手にも伝えているが、相手も気に留めていない。
 しかし彼らには結婚願望があり、その理由は母親が望むからである。母親を安心させたい、母親が望むように結婚したいと思っている。しかし彼らの考える結婚は我々とは違う。財布は別々で、相手の収入は知らないが、共同生活を成り立たせるための生活費はお互いが折半して負担している。それは、男の中にまだパートナーよりも収入が少ない事をコンプレックスに思う人がいて、それをお互いが知ることがリスクになるからである。一人の時間を大切にし、冷蔵庫の中までお互いの陣地を守っている。財布を一緒にしないので、別れる時のリスクが少ない。そして、子供を作ることもリスクである。そして、最も重要なのは結婚によって、自分の生活や老後の資金計画が狂うこと、あるいはパートナーとの生活で自分の老後の資金計画が安定することで、結婚はコストパフォーマンスであると考えていることである。
 
 私は、結婚がコストパフォーマンスであると考える若者たちに違和感を持ったが、実は我々の世代も一緒であった。親しい友人の女性は新婚当初からDVを受けており、老後はご主人と一緒に住むつもりはないし、10数年間生活するだけの蓄えがあることを教えてくれた。別の女性はご主人と離婚して、慰謝料を請求しなかったが、子供がご主人の遺産を相続するから今焦ることはないと言っている。守るべき資産も家もがない我々のような家庭には、自分がこの先どのように生きていくかが重要になる。
 そして、将来は、複数の男女の共同生活のような結婚の姿もあり得るのではないだろうかと、著者は言う。狩猟民族のように(もっと言えば、猿のように)、複数の男女がコロニーを形成し、あるものは外へ金を稼ぎに行き、あるものは小さい子供の面倒を見るような。
 現在の家庭のあり方は、平安時代後期の武士の台頭から始まり、男が家を継ぎ資産を守り、そのために人が犠牲になるという男尊女卑の家族観である。これからは、平安時代以前のように、男女が対等で個人個人が緩く結びつく家庭観に変わっていくだろう。
 
 そんな社会に我々は何ができるのだろうか、伝統的家庭観から、新しい家庭観に移行した時に親子の関係、家庭と社会との関係が大きく変化することは間違いがない。個人化が進み、リスクを重視した人間関係が進む中、家庭教育にできることは何だろうか。
その時に教えなければならないのは、「人間とは何か」であると思う。家庭でも、教育の場でも人間とは何かを考えさせること、伝えることで日本社会の分化、不安定化を防ぐことができると考えられる。宗教観が育たない日本で、人が生きるためのの基準はどのように築かれるのか?
 
 今こそ、哲学復興の時代ではないだろうか。
2016年5月31日

平林直人


春〜雑感〜

 桜の便りもここ北東北では、やっとこの数日満開の便りが聞こえてきた。私の住んでいる所はちょっと北のせいか6分咲きくらいである。このコラムが載る頃には果たして満開だろうか。今年は例年より早いと言うけれど、先日は日中雪が舞ったりした。

 

 こぶし、紅梅、白梅、、木蓮、レンギョウ、そして桜と東北の春は一気に押し寄せてくる。

幼い頃、春は本当に待ち遠しかった。12月の厳しい寒さから3月になるとほのかに日差しが柔らかくなる。三寒四温をまさに身をもって感じられるのだ。厳しい寒さからやっと開放されるのが春。だから私にとって桜はひとしお特別な花なのである。

 

 ところがである。あれほどまでに待ちに待った桜の季節に以前ほど感動を覚えなくなったような気がする。どうしてだろうとふと考えた。日々の忙しい生活に追われているから?年を取るにつれて感動しなくなってる?いやいや感動する事には自信がある。とにかく近頃は涙もろいことこの上ない。では何故?

 

 子どもの頃、冬の朝、何しろ着替えるのがいやだった。暖かい布団から出た時のギャップ。部屋が寒い。寝る前に次の日に着る洋服を布団の中に入れて暖める。それでも着替える時はどうしても一度は冷えた空気に肌をさらす。だから冬はきらいだった。ところが昨今の北国の住宅事情はまるで違う。タイマーさえつけておけばパネルヒーターが家中の部屋を暖めてくれる。外は氷点下10度近くでも家の中はポカポカ。ぬくぬくとして起きられる。

 

 今さらながら、昔に比べて便利になったものだ。その便利さで私たちは豊かになったと思っている。しかし、心の豊かさはどうなんだろう。子どもの頃過ごした長い冬。そんな日々を重ね過ごしたからこそ、春を春として強く実感できたのではないだろうか。 生活の豊かさと引き換えに心の豊かさを失っているような気がして妙に寂しい気持ちになってしまった。でもだからといって昔に戻れるかと聞かれたら・・・無理、無理、ムリムリ。

 

 近々、94歳になる母を連れて桜を見に出かける。城跡公園は桜の名所である。せめて満開の桜を親子でゆっくりとじっくりとめでてこようと思っている。

 

                                                 2016425

                                              家庭教育アドバイザー 

                                                       いつこ

15の春

 今春、娘の高校受験が無事に終わった。公立中学校へ進んだ者なら誰しもが通らねばならない試練の時、「15の春」だ。 私はこの一年、自分の受験時代を思い出しては、娘に発破をかけてきた。努力が報われることをただひたすらに祈りながら、いわば、母としての「15の春」を迎えたのである。
 合格発表の朝、最寄り駅から高校までの数分の道のりを、「見に行きたくない」と何度も呟く娘に「大丈夫、大丈夫!」と励ましているつもりが、本当は不安に押しつぶされそうになっている自分に言い聞かせていた。思えば、私は自分の合格発表を「見に行きたくない」と言って、母一人に行ってもらった。家から高校までの長い道のりを、あの時、母はどんな気持ちで歩いて行ったのだろうか? 
 正門を入ると白い紙に合格者の受験番号が網目のように書かれていた。目の良いことをこの日ばかりは恨んだ。あえてぼんやりと眺めていると、娘の番号だけが飛ばされている!蒼白な娘の顔を想像しながら振り返ると、「なんかあるみたいなんだけど、、、見てきて」とうっすら笑みを浮かべている。どうやら慌てていた私は、受験番号を間違たようだ。番号を見つけると、思わず娘を強く抱き寄せ「よく頑張ったね!」と背中をなで、涙が溢れた。 そういえば、あの日、母は学校の公衆電話から「あったよ、おめでとう!」と合格を告げてくれた。たぶん、1台の電話に長蛇の列を並んで掛けてきてくれた電話だったのだろう。不安をただ一人でじっと耐え忍び、抱き寄せる肩もないまま喜びを噛みしめていただろう今は亡き母を思うと、別の涙がこぼれた。
 こうして、私は母になって初めて母の思いを知る。そしてまた親としての心構えができる。
 
 受験は結果が全てではない。その日までの長い道のりに、それぞれの親と子の、それぞれの物語が生まれるのだろう。そして、幾年も脈々と流れてきた家族の歴史を受け継ぎ、新たな物語をまた次の世代へ遺していくのではないだろうか。 
 母になって、母の思いを知る。 それが、母から私へバトンが手渡された時なのかもしれない。
 
 いつの日か、私のバトンを娘が受けとってくれる日を思い描きながら、私にとっての「15の春」をかみしめていた。
 
2016年3月28日
家庭教育アドバイザー
中島 佳世