家庭教育支援協会
トップページお問い合わせサイトマップ

コラム

  • 私たちの理念
  • わたしたちについて
  • お知らせ
  • 活動報告
  • これまでのあゆみ
  • これからの活動
  • 会報
  • コラム
  • リンク

家庭教育って、誰のため?

 家庭教育っていったい誰のために、誰が誰にするものなのかしら?


 現在、私は再び大学院生として研究を続けている。その研究の中心は米国が発祥の地とされるケアの哲学であるが、哲学の森を彷徨いながらふと思う。
 家庭教育って常識的な線では、子どものために親が子どもにするものだとは思うのだけど、それだけかしら?と。
 親から子への一方通行だと、親はエライ。子どもは黙って聞けという図式が暗黙のうちに了解されているような、なんだか抑圧的な近代を感じてしまう。家庭教育はもっと柔軟で、応答可能性を含むものだと思う。親から子へ、子から親へ。おじいちゃんから孫へ。孫からおばあちゃんへ。いろんなパターンがありだと思う。たとえば親子の関係なら

―親が子どもに教え、子どもは親にわかったと応答する。その逆もあり、そのことに対して親(子ども)は了解する。完結。―

 
この一連の流れの中での応答可能性は、次世代へのレスポンスも含むものだ。反抗期の子どもは親の注意に対して「はい。わかりました」と素直に返事を返すことはなかなかない。でも、心に届いていれば、たとえ親にはレスポンスはなくとも、いつか誰かに対して適合的な応答する可能性もある。

それは明日学校の友達に対してかもしれないし、未来の自分の子どもに対してかもしれない。
 
そこで応答された相手は、また別の誰かに応答する。

 
同心円的な応答の連鎖だ。
 
そうだとすれば「こんなに私は一生懸命子どものためにしたのに、あの子は感謝の気持ちを返してくれない」と嘆くことはない。(腹も立つけど)

直接「わたし」には返って来なくても、その応答は、「わたし(・・・)」ではない「()()」にきっと届けられる。
 つまり家庭教育は、親と子の関係だけにとどまらず、応答を通してまわりのみんなに影響を与えるものなのだ。
 
そんなふうに考えると、思春期の子をもつ私もちょっぴり慰められる。


 
その慰めのもととなる考えが、研究中のケアの倫理という倫理観だ。ケアの倫理は、責任の倫理ともいわれる。それは、まわりの人への配慮とその人への責任をとても大切なものと考えるからだ。この考え方は親子関係をもとにしているともいわれるし、ギリシャ神話からすでに存在していたともいわれる。いずれにしても、ママのお腹の中にいるときから、最期のときを迎えるまで、人間にとって、なくてはならないのがケアなのだ。だから生きることはケアすることともいえる。でもそれは、何かを犠牲にすることとはちょっとちがう。私自身、母として、妻として、院生としてのアイデンティティの狭間で揺れる日々だが、そのどの「わたし」も大切にしたいと思う。そのうちのどれが欠けても「わたし」ではないから。

 
自分をケアするって子育てのときも、高齢者介護のときも、医療現場でも大切なことだけど、つい後回しになってしまいがちだ。その結果バーンアウトしたり、もっと弱い存在にはけ口を求めてしまったりする。(たとえば虐待)

 
誰かをケアするのと同じように自分をケアすることも忘れずにいたい。


 
ケアは、一人ひとりの「わたし」が幸せになるためにあるのだ。


 
私たち家庭教育支援協会は、家庭の在り方とこれからの女性の生き方をも含めたうえで家庭教育を考えなくてはならないむずかしさもあるけれど、それって、ほんとは人間にとってすごく当たり前のことで大事なことじゃないかと思う。


 私は、このアポリアに自分の体験を通して挑戦中だ。ときおり結節点が迷子になってしまうけど。

 
一度踏み込んだケアの森は深い。
 
でも、いつかきっと隘路をみつけたい。

 
誰のものでもない「わたし」にとっての幸せと「あなた」にとっての幸せが、つまりそれぞれの幸せがきっとあるはず。
 
そのときこそ、家庭教育の大切さがみんなに伝わるはずだ。

 

 

20111017

理事
家庭教育アドバイザー
二川早苗

 

≪自己紹介≫

 

契約アナウンサー、ニュースキャスター、学習塾経営を経て家庭に入り、子育てに専念

世田谷区立小学校(全64校)PTA連合協議会会長、同顧問、世田谷区個人情報保護委員、外部評価委員を歴任後

現在、家庭教育アドバイサー、家庭教育師

世田谷区社会教育委員、世田谷区スポーツ振興審議会委員、関係者評価委員

筑波大学大学院教育修士号取得後、筑波大学大学院一貫制博士課程哲学思想専攻在籍中


父親の家庭教育とは

 820日に貞静学園短期大学で行われた日本家庭教育学会第26回大会のパネルディスカッションで父親の家庭教育が話題になった。父親の家庭教育とは子供を自立させることだと、元文科省の課長は言われた。そのために何をすれば良いについては言及されなかったが、非常に重要なテーマである。

自立するとは社会の中で自分の力で生きる事であり、自分の考えで、自分の力で生きる事であると言えるのではないだろうか。その力とは何か、どのようなものなのだろうか。経営コンサルタント企業で教えている企業内教育はいくつもの種類があるが、その基本は、

 

1.目標を定めること

2.現状の自分自身と、取り巻く状況を確認すること

3.目標に到達するための計画を策定すること

4.計画を実行すること

5.結果を振り返って計画を見直すこと

 

地位や役職、仕事内容によって中身は変わるが、概ね上記のサイクルを回して行く事になる。

これがなぜ必要かといえば、あらゆる場面で結果を残す人物になることができるからである。

 

そして、その力はどのようにして身につくのだろうか。松下幸之助の有名な言葉に「やって見なはれ、見て見なはれ」という言葉がある。とにかくやって見て、その結果どうであったか見てみる事である。好奇心と実行力である。ともすれば子供の好奇心は親の不注意で、不心得で芽を摘んでいるのではないか。子供の実行力は親の不心得で、怠慢でブレーキをかけているのではないだろうか。

 

父親の出番である。

 

「テストの花道」と言うNHKの番組にはいわゆる高学歴の大学生が出演している。彼らは全員が

1.受験の際にどの大学を目標として定めたか、

2.そのために必要な学力のレベルはどの程度か、

3.自分自身はそのレベルに達しているのか、

4.達していなければ今何を強化しなけばならないのかその優先順位はどうか、

5.そのための勉強方法としてはどのような方法が自分に合っているか、

6.そして自分の成長を測る方法は何であったのか

という事を明確に語る。

残念ながら、高学歴の学生はマネジメントの力があり企業が求めるあるいは社会が求める力を持っていることが多い。日本の学歴社会の正体はここにある。

 

残念ながら好奇心と実行を繰り返してこなかった子供たちはどうすればいいのか。誰かが教えるしかないと思っている。

 

かつては企業内教育で新入社員、中堅社員、班長・係長研修、課長研修、部長研修などの階層別研修と業務に直結する業務別研修が行われていたが、このところの不景気で起業は即戦力にこだわるようになってきた。入社してから1人前になる何ヶ月間、売り上げを立てられない何ヶ月間をただで養うのは限界があるという判断である。特に中小企業の社長は歯に衣を着せずに私に言い切る。つまり、社会にでる前にあるいは就職する前に準備をすることが必要なのである。

 

今日ほど家庭教育における父親の存在が大切な時は無いと思う。もちろん、母親も社会にでているので社会人教育として母親の存在は重要である。子供の未来を作るためには社会人教育が必要な今こそ父親の、男の出番である。家の外に連れ出し、職場を見学させ、大勢の大人と触れさせることが社会人教育の第1歩である。そして、子供の好奇心を後押しして一緒に実行することこそ、父親の教育である。

 

お父さんたち、寝ている暇は無い。

 

20111010

理事
平林直人

 

八洲学園大学 職員

日本家庭教育学会常任理事

 

経営コンサルタント、小中高を要する学校法人を経て八洲学園大学に勤務


思春期の子どもと家庭教育

我が子が不登校になったら…あなたは親としてどのように対応しますか?

 

文部科学省が平成22年8月5日に発表したデーターによると、

小中学校における不登校児童生徒は1.000人につき11.8人で、これは・・・

36人に1人の割合となり、およそ1クラスに1人の割合になります。

そして、

ひきこもりといわれる人の平均年齢は26.6歳で、全体の3割近くが30歳以上の大人です。

そのうち、中学時代から成人になるまでにひきこもりが始まった人は、約83%です。

 

このことから、

中学時代に不登校になり、そのままひきこもり、長期化するケースが多いことが判ります。

 

不登校になる原因は、

・友人関係や教師との関係のトラブル、

・勉強がわからない、

・部活動への不適応、

など、学校生活に起因するものが多いようです。

 

学校で傷ついた子どもが学校に戻れようになるためには、傷を十分に癒す必要があります。

そのためには、十分に休養をとり、自信と強さを取り戻さなければならないのです。

 

私の息子は高校1年の春、部活動への不適応から退部し、自分を支えるものを失くしたことでネット対戦ゲームにはまり昼夜逆転生活となりました。

高校2年生で不登校となり、鬱々とひきこもりになった時期もありました。

現在、高校3年生ですが、専門学校進学と将来の夢を目標に不登校を克服しつつあります。

 

親も子も、苦しみましたし、悩みました。時には言い争うこともあり、互いに傷つきました。

 

家庭教育を学んだ家庭教育アドバイザーの息子が不登校やひきこもりになるなんて・・・

 

私が家庭教育を学び始めたのは息子が中学1年生になった時でした。

もっと早くに学ぶ機会があれば・・・

思春期に入る前に知っていれば・・・

子どもを授かった時に知っていれば・・・

と思うことが多々ありました。

 

親として、あってほしくはない思春期の我が子のドロップアウトですが、

そのような事態になったとしても、それまでの子育てを振り返り、子どもとのかかわり方を考えるよい機会と捉えることで、「チャンス」に変えることができます。

 

過去と他人は変えられない・・・

変えられるのは未来と自分だけ・・・心理学の先生が教えてくださった言葉です。

 

家庭教育を学ぶことで自分を変え、家族が幸せになる。

そのお手伝いをさせていただくことを、私のこれからの生涯をかける仕事とするために、

これからも学び続けていきます。

 

自己紹介

東京都出身、在住、同居家族は夫と息子、猫3匹

東京女子体育大学卒業

高等学校教諭二級普通免許・中学校教諭一級普通免許

八洲学園大学生涯学習学部家庭教育課程卒業

日本家庭教育学会認定家庭教育アドバイザー・家庭教育師

(財)日本水泳連盟公認水泳コーチ

(社)日本フィットネス協会公認エアロビックダンス・エクササイズインストラクター

(社)日本ボディビル連盟公認審査員 3級

(社)日本ボディビル連盟公認指導員 1級

第8回全日本ボディビル選手権優勝

第9回女子アジアボディビル選手権ヘビー級優勝

東京成徳大学付属高等学校常勤講師、早稲田情報ビジネス専門学校非常勤講師を経て、現在は中高年を対象としたフィットネス・インストラクターとして指導

 

201110月3日

理事
家庭教育アドバイザー

木村孝子


9月11日総会・研修会に参加して―

9月11日に家庭教育支援協会の総会と研修会が開催されました。遠隔地からの御参加の方も多数いらっしゃいました。皆で一同に会することができたことを喜びあいながら開催することができました。本総会において私も支援協会の理事の一員となりました。微力ながら自身の立場でお役に立てるよう頑張ろうと決意を新たにいたしました。今回は総会・研修会への参加で感じたことを記させていただこうと思います。

総会は午前中に行われ、昨年末に発足した協会の約9ヵ月間の活動と展望が報告され、午後には研修会とディスカッションが行われました。発足から短期日のなかで、さまざま活動を行ってきたことを頼もしく感じるとともに、コツコツとできるところから活動を続けていくことの重要性を感じました。

研修会では浦和富士学園別所幼稚園園長の田島道子先生の御講演がありました。幼児教育をめぐる様々な社会状況の変化と、その変化の中でどのように家庭教育の現状が変容しているかということについて様々な角度から述べられていました。幼児教育に身を置いてこられた田島先生のお話は全体的な視点と具体的なご経験とを結び付けた貴重なお話で、どれも興味深くいろいろ考えさせられました。

 お話のなかで特に印象に残ったのは、社会状況の変化にともなって親の意識が大きくかわるなかで、何が家庭教育において「不易」であるかということについての問いかけでした。田島先生は、その一部として躾や食育、生活習慣を身につけること、また親子の対話、三つ子の魂がいかにその後の育ちに多く影響するかなど重要なことがらを述べられました。そして、社会の変化、生活様式の変化が及ぼす家庭教育への影響はあまりに大きく、何が重要なことかを見失いがちであるということを指摘されていました。また価値観がますます多様化する現代にあってこれが大切なことだということが提示されても、押しつけに感じる親や、またあるいはたいして関心を示さない親が多いことも指摘されていました。

 たしかに教条的に「子育てや家庭教育ではこれが大事」だといわれても、家庭の生活様式が多様化した現代ではなにか古臭いお説教のように受け止められてしまうことは少なくないだろうと思います。しかしながら、田島先生が提示した家庭教育における「不易と流行」とはなにかというこの「問い」は重要だと痛感しました。

子育てに関わるものにとってはもちろんのこと、社会全体がこの「問い」を主題化すること、あるいは、「家庭教育」ということを主題化することは今日の社会のなかで特に求められていることだと思います。このようにいうと、各家庭のプライベートな事柄に干渉することになるのではないかと思われがちですが、そうではありません。各家庭の状況は様々であり、さまざまな家庭環境があります。親が置かれている状況も多様であります。むしろそうであるからこそ、各家庭において家庭教育にあって重要なことは何かを問いつづけることが肝要であるといえるのだと思います。この問いのなかにはおのずと子どもにどのような人間になってもらいたいかという願いがあり、愛情があり、希望があり、幸福になってもらいたいという祈りが伴うものだといえます。さらになにが重要かを主題化することは、「どのような人間になってもらいたいか」という親自身の人間観の再考を迫ることになります。またあるいは我が子の幸福を祈る場合でも親の「幸福」観自体がどのようなものなのかが問題になるでしょう。この人間観・幸福観の再考は自分自身の生き方もまたたえず再確認させられることになるのだろうと思います。社会全体がこの問いを共有し、主題化することはわれわれがどのような社会、あるいはすこし大きな言葉で表現すればどのような世界を創りあげていきたいかということになるのだと思います。
 

 
やや話が大きく広がりすぎましたが、田島先生の家庭教育における「不易」とは何か、この問いかけから考えたことは、家庭教育における変わらぬ重要なこと(不易)を親自身が家庭教育の場で問い続けることこそがあるいは「不易」なのかもしれないということです。

家庭教育における不易とは何かという「問いの主題化」は、家庭教育における重要な事柄の教条的な硬直化を避けることができる常に立ち返る原点となるものだと思います。

 
田島先生の御講演での問いかけのあと、研修会ではこの問いの主題化と関係することがディスカッションでのやり取りのなかでありました。

和田みゆきさんから、「家庭教育というのは大事であることは認識されているが、家庭教育はプライベートなことがらであるのでまだまだ公的なことがらとして議論され、問題が共有されるような状況になっていない。支援協会はこの状況を大きく変えていけるようにしていきたい」という趣旨の発言がありました。また和田さんいわく、「以前はお茶は家で飲むもので飲料製品にしても売れないと思われていたが、いまでは状況がかわりひろく飲料製品としてなくてはならないものとなっている。家庭教育への関心も皆が重要な事柄として認識している以上、かならずや何らかの契機で状況が変わればひろく社会全体の公的なことがらとして中心的課題となってくると確信している」という趣旨の発言がありました。

 お茶や水を購入することは以前ではなかったのにいまでは当たり前となっています。なるほどと思いながらその話を聞きました。たしかに、ある種の固定観念がはずれれば、あっという間に社会の意識は変わるものです。家庭教育というと連想されるようなある種の固定観念が変われば社会全体の機運が変わることは大いにある得ることです。家庭教育が重要だということは多くのひとが抱いている思いですので、なんらかのきっかけがあれば、社会全体で主題化することにつながることだろうと思います。将来そのような状況になったときに、家庭教育ということをキーワードにしたビジネスも様々たち起こっていくだろうと予想されます。そのような状況になったときに家庭教育についての「不易と流行」とはなにかという問いを主題化していくことがそこでもまた重要になってくるのだろうと思います。

 田島先生のご講演の後、松本美佳さん、和田みゆきさんの活動について御本人からそれぞれ報告がありました。両人のそれぞれの立場での本格的かつ、地に足のついた活躍に感心しながら聴き入りました。支援協会のこれからの大発展を予感させるものでした。総会・研修会は皆が真剣に取り組んでいる姿に自分自身も思いを新たにすることができました。

2011年9月26
理事
平良 直

 


「受け入れる」ということ

 まず愛をもつこと、そして相手を無条件に受け入れ、また相手の特性に価値や意義を見出すこと。相手に対する批判は、これらが先にあってこそ価値をもつ。

 

 これは、百年も前にある人が異文化とその中で生きる人たちに対する姿勢としてどんなことが大事かを語ったことばを要約したものです(ただし「相手」としたところは元は国と国民の名称です)。異なった性格や能力や習慣をもつ他者に対する態度一般に当てはまることにように思えて、印象に残っています。

 

 しかし、もし上のことばに一理ありとしても、その姿勢が実際にはどのようなことばや行動にあらわれることになるかについては、単純に答えが出てくるものではありません。愛をもつこと、無条件に受け入れること等は、けっして内面だけの問題ではなく、ことばや行動が伴うことを要求するのではないでしょうか。

 

 「愛をもって相手にかかわっている」「相手をまるごと受け入れている」あるいは「相手の思いを受け止めている」つもりであっても、本当にそうすることができているといえるのかわからないときがあります。

 

 私の場合、自分の子どもについてすらそうです。のんきな話題で恐縮ですが、「はやくしなさい!」などと気短なことばを発するような日常の場面でも、相手を受け入れること、相手に価値を見出すことがどれほどできているかを試されているように思えるのです。

 

 皆さんは、子どもに対して「はやくしなさい!」と、きつく言うことはありませんか。(以前、幼稚園の先生が、園児の母親たちに対するお話の中で、「お母様方のおっしゃる『はやくしなさい!』」に言及したとき、聴いていた人の多くが、覚えがあるということでしょう、恥ずかしそうに笑っていました。)「はやくしなさい!」はいろんな場合に発しうることばですから、それがよいかわるいかは、場面や、そのときの双方の心持ちなどによりけりでしょうが、私の場合、能のない対処をしてしまった、他に言いようがあったのではないかと反省することを繰り返してきたことばの一つです。

 

 たとえば、時間がないのに、身支度が遅かったり、食べるのが遅かったりするときです。その気になればはやくできるのに、なかなか済まないのです。

ある朝、食卓を囲んでいるときのことです。子どもの茶碗のご飯がなかなか減らない。このままでは登校時間までに食べ終わらない、ちゃんと食べないと体に悪い、という思いが込み上げてきたとたん、「はやくしなさい!」。それでも悠然としている子どもにいらだって、大声でまた「は・や・く・し・な・さい!」。すると、子どもは「『はやくしなさい!』っていわないで!!もー!!本当にいやだ」とびっくりするほどの強い声で叫びました。こちらは、聞き入れない子どもに、おとなげなくもカッとなって「『「はやくしなさい!」っていわないで!!』なんて言ってないで、はやくしなさい!!!」。この「!」の増幅過程をたどるのは本当に能がありません。この言い回しを何重にも重ねてみせて笑わせることはできましたが、それが何になるでしょう。

 

 日頃、愛情が伝わっていれば、こんなことも長い目で見れば意味をもちうるのか、それとも、こんなことばより、あとでおなかがすいたとか、疲れたとかの苦痛を本人自身に経験させ、そこから自発的にはやくするよう努力するのを(促しつつ)待つべきなのか、あるいは、また他の道がよいのか、いかがなものでしょう。

 

 幸い、上のような場面では、たいてい妻のほうは冷静で、うまく対応してくれるので、その直後には、子どもと仲良く「行ってきま〜す」と家を出ることができますし、後でどうするべきだったか話し合うこともできるのですが、もし子どもと一対一だったらどうなっていただろうとも思います。このようなことは「はやくしなさい!」に限ったことではないので、情けないことです。

 

 能のない一言はいまだによく言ってしまうのですが、そのたびにどうしたらよいものかと考えないではいられません。9月5日のコラムで、家庭教育アドバイザーの和田さんが「『もし自分が夫や親に、自分の言動を訂正されるとしたら、どんな風に言われたら相手の考えを気持ちよく受け入れ、言動をあらためるだろうか。』と考えながら子どもに接しています」と書かれているのを読みますと、その心掛けの大切さが痛いほどわかる気がします。しかし、そのことを普段から意識していても、また言ってしまいそうでもあります。

 

 8月22日のコラムで、同じ家庭教育アドバイザーの丸山さんが書かれていたことも、強く心に刻まれました。高校入試の面接で「将来の夢は何ですか?」と問われたのに対し、胸を張って「私の夢は専業主婦になることです!」と答えたところ面接官に苦笑いされたが、お父様は「それは立派な夢だね」と褒めてくれ、そのことを鮮明に覚えている、というお話です。お父様が子の思いをしっかりと受け止め、その価値を理解し認めてくださったということですね。

 以前、私の娘は、幼稚園年長組のとき(ですから丸山さんのように自覚をもっての発言ではないですが)「将来の夢」を順番に言わされた際、「子どもを育ててお母さんのようにやさしい人になりたいです」と答えたところ、多くのお友だちから「そういうのは将来の夢じゃない」と批難されたそうです。そのとき先生がきっぱりと「それは立派な夢ですよ」と言って褒めてくださったそうです。この話を聞いたとき、私がどう思ったか、父親として何を言ってやれたかを、丸山さんのコラムを読んで思い返しました。

 

 私は、八洲学園大学家庭教育専攻に教員として在職していますが、専門は倫理学で(倫理学においても家庭・家族は重要なテーマだと私はかねてより考えており、その分野における家庭・家族論を多少とも勉強してはきましたが)、「家庭教育」の実際問題に直面して、いえること・なしうることがどれほどあるかと問われれば、お恥ずかしいかぎりです。私としては、本協会員のことばに耳を傾け、自らの経験を省み、また諸事例を参照しつつ、家庭教育に関して少しずつ研鑽を積んでいきながら、広く社会における家庭教育支援という、家庭教育アドバイザー・家庭教育師の担おうとしている、大変だけれど重要な活動に協力していきたいと思っています。

2011919

理 事

八洲学園大学教授

 石井雅之