家庭教育支援協会
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思春期の子どもと家庭教育

我が子が不登校になったら…あなたは親としてどのように対応しますか?

 

文部科学省が平成22年8月5日に発表したデーターによると、

小中学校における不登校児童生徒は1.000人につき11.8人で、これは・・・

36人に1人の割合となり、およそ1クラスに1人の割合になります。

そして、

ひきこもりといわれる人の平均年齢は26.6歳で、全体の3割近くが30歳以上の大人です。

そのうち、中学時代から成人になるまでにひきこもりが始まった人は、約83%です。

 

このことから、

中学時代に不登校になり、そのままひきこもり、長期化するケースが多いことが判ります。

 

不登校になる原因は、

・友人関係や教師との関係のトラブル、

・勉強がわからない、

・部活動への不適応、

など、学校生活に起因するものが多いようです。

 

学校で傷ついた子どもが学校に戻れようになるためには、傷を十分に癒す必要があります。

そのためには、十分に休養をとり、自信と強さを取り戻さなければならないのです。

 

私の息子は高校1年の春、部活動への不適応から退部し、自分を支えるものを失くしたことでネット対戦ゲームにはまり昼夜逆転生活となりました。

高校2年生で不登校となり、鬱々とひきこもりになった時期もありました。

現在、高校3年生ですが、専門学校進学と将来の夢を目標に不登校を克服しつつあります。

 

親も子も、苦しみましたし、悩みました。時には言い争うこともあり、互いに傷つきました。

 

家庭教育を学んだ家庭教育アドバイザーの息子が不登校やひきこもりになるなんて・・・

 

私が家庭教育を学び始めたのは息子が中学1年生になった時でした。

もっと早くに学ぶ機会があれば・・・

思春期に入る前に知っていれば・・・

子どもを授かった時に知っていれば・・・

と思うことが多々ありました。

 

親として、あってほしくはない思春期の我が子のドロップアウトですが、

そのような事態になったとしても、それまでの子育てを振り返り、子どもとのかかわり方を考えるよい機会と捉えることで、「チャンス」に変えることができます。

 

過去と他人は変えられない・・・

変えられるのは未来と自分だけ・・・心理学の先生が教えてくださった言葉です。

 

家庭教育を学ぶことで自分を変え、家族が幸せになる。

そのお手伝いをさせていただくことを、私のこれからの生涯をかける仕事とするために、

これからも学び続けていきます。

 

自己紹介

東京都出身、在住、同居家族は夫と息子、猫3匹

東京女子体育大学卒業

高等学校教諭二級普通免許・中学校教諭一級普通免許

八洲学園大学生涯学習学部家庭教育課程卒業

日本家庭教育学会認定家庭教育アドバイザー・家庭教育師

(財)日本水泳連盟公認水泳コーチ

(社)日本フィットネス協会公認エアロビックダンス・エクササイズインストラクター

(社)日本ボディビル連盟公認審査員 3級

(社)日本ボディビル連盟公認指導員 1級

第8回全日本ボディビル選手権優勝

第9回女子アジアボディビル選手権ヘビー級優勝

東京成徳大学付属高等学校常勤講師、早稲田情報ビジネス専門学校非常勤講師を経て、現在は中高年を対象としたフィットネス・インストラクターとして指導

 

201110月3日

理事
家庭教育アドバイザー

木村孝子


9月11日総会・研修会に参加して―

9月11日に家庭教育支援協会の総会と研修会が開催されました。遠隔地からの御参加の方も多数いらっしゃいました。皆で一同に会することができたことを喜びあいながら開催することができました。本総会において私も支援協会の理事の一員となりました。微力ながら自身の立場でお役に立てるよう頑張ろうと決意を新たにいたしました。今回は総会・研修会への参加で感じたことを記させていただこうと思います。

総会は午前中に行われ、昨年末に発足した協会の約9ヵ月間の活動と展望が報告され、午後には研修会とディスカッションが行われました。発足から短期日のなかで、さまざま活動を行ってきたことを頼もしく感じるとともに、コツコツとできるところから活動を続けていくことの重要性を感じました。

研修会では浦和富士学園別所幼稚園園長の田島道子先生の御講演がありました。幼児教育をめぐる様々な社会状況の変化と、その変化の中でどのように家庭教育の現状が変容しているかということについて様々な角度から述べられていました。幼児教育に身を置いてこられた田島先生のお話は全体的な視点と具体的なご経験とを結び付けた貴重なお話で、どれも興味深くいろいろ考えさせられました。

 お話のなかで特に印象に残ったのは、社会状況の変化にともなって親の意識が大きくかわるなかで、何が家庭教育において「不易」であるかということについての問いかけでした。田島先生は、その一部として躾や食育、生活習慣を身につけること、また親子の対話、三つ子の魂がいかにその後の育ちに多く影響するかなど重要なことがらを述べられました。そして、社会の変化、生活様式の変化が及ぼす家庭教育への影響はあまりに大きく、何が重要なことかを見失いがちであるということを指摘されていました。また価値観がますます多様化する現代にあってこれが大切なことだということが提示されても、押しつけに感じる親や、またあるいはたいして関心を示さない親が多いことも指摘されていました。

 たしかに教条的に「子育てや家庭教育ではこれが大事」だといわれても、家庭の生活様式が多様化した現代ではなにか古臭いお説教のように受け止められてしまうことは少なくないだろうと思います。しかしながら、田島先生が提示した家庭教育における「不易と流行」とはなにかというこの「問い」は重要だと痛感しました。

子育てに関わるものにとってはもちろんのこと、社会全体がこの「問い」を主題化すること、あるいは、「家庭教育」ということを主題化することは今日の社会のなかで特に求められていることだと思います。このようにいうと、各家庭のプライベートな事柄に干渉することになるのではないかと思われがちですが、そうではありません。各家庭の状況は様々であり、さまざまな家庭環境があります。親が置かれている状況も多様であります。むしろそうであるからこそ、各家庭において家庭教育にあって重要なことは何かを問いつづけることが肝要であるといえるのだと思います。この問いのなかにはおのずと子どもにどのような人間になってもらいたいかという願いがあり、愛情があり、希望があり、幸福になってもらいたいという祈りが伴うものだといえます。さらになにが重要かを主題化することは、「どのような人間になってもらいたいか」という親自身の人間観の再考を迫ることになります。またあるいは我が子の幸福を祈る場合でも親の「幸福」観自体がどのようなものなのかが問題になるでしょう。この人間観・幸福観の再考は自分自身の生き方もまたたえず再確認させられることになるのだろうと思います。社会全体がこの問いを共有し、主題化することはわれわれがどのような社会、あるいはすこし大きな言葉で表現すればどのような世界を創りあげていきたいかということになるのだと思います。
 

 
やや話が大きく広がりすぎましたが、田島先生の家庭教育における「不易」とは何か、この問いかけから考えたことは、家庭教育における変わらぬ重要なこと(不易)を親自身が家庭教育の場で問い続けることこそがあるいは「不易」なのかもしれないということです。

家庭教育における不易とは何かという「問いの主題化」は、家庭教育における重要な事柄の教条的な硬直化を避けることができる常に立ち返る原点となるものだと思います。

 
田島先生の御講演での問いかけのあと、研修会ではこの問いの主題化と関係することがディスカッションでのやり取りのなかでありました。

和田みゆきさんから、「家庭教育というのは大事であることは認識されているが、家庭教育はプライベートなことがらであるのでまだまだ公的なことがらとして議論され、問題が共有されるような状況になっていない。支援協会はこの状況を大きく変えていけるようにしていきたい」という趣旨の発言がありました。また和田さんいわく、「以前はお茶は家で飲むもので飲料製品にしても売れないと思われていたが、いまでは状況がかわりひろく飲料製品としてなくてはならないものとなっている。家庭教育への関心も皆が重要な事柄として認識している以上、かならずや何らかの契機で状況が変わればひろく社会全体の公的なことがらとして中心的課題となってくると確信している」という趣旨の発言がありました。

 お茶や水を購入することは以前ではなかったのにいまでは当たり前となっています。なるほどと思いながらその話を聞きました。たしかに、ある種の固定観念がはずれれば、あっという間に社会の意識は変わるものです。家庭教育というと連想されるようなある種の固定観念が変われば社会全体の機運が変わることは大いにある得ることです。家庭教育が重要だということは多くのひとが抱いている思いですので、なんらかのきっかけがあれば、社会全体で主題化することにつながることだろうと思います。将来そのような状況になったときに、家庭教育ということをキーワードにしたビジネスも様々たち起こっていくだろうと予想されます。そのような状況になったときに家庭教育についての「不易と流行」とはなにかという問いを主題化していくことがそこでもまた重要になってくるのだろうと思います。

 田島先生のご講演の後、松本美佳さん、和田みゆきさんの活動について御本人からそれぞれ報告がありました。両人のそれぞれの立場での本格的かつ、地に足のついた活躍に感心しながら聴き入りました。支援協会のこれからの大発展を予感させるものでした。総会・研修会は皆が真剣に取り組んでいる姿に自分自身も思いを新たにすることができました。

2011年9月26
理事
平良 直

 


「受け入れる」ということ

 まず愛をもつこと、そして相手を無条件に受け入れ、また相手の特性に価値や意義を見出すこと。相手に対する批判は、これらが先にあってこそ価値をもつ。

 

 これは、百年も前にある人が異文化とその中で生きる人たちに対する姿勢としてどんなことが大事かを語ったことばを要約したものです(ただし「相手」としたところは元は国と国民の名称です)。異なった性格や能力や習慣をもつ他者に対する態度一般に当てはまることにように思えて、印象に残っています。

 

 しかし、もし上のことばに一理ありとしても、その姿勢が実際にはどのようなことばや行動にあらわれることになるかについては、単純に答えが出てくるものではありません。愛をもつこと、無条件に受け入れること等は、けっして内面だけの問題ではなく、ことばや行動が伴うことを要求するのではないでしょうか。

 

 「愛をもって相手にかかわっている」「相手をまるごと受け入れている」あるいは「相手の思いを受け止めている」つもりであっても、本当にそうすることができているといえるのかわからないときがあります。

 

 私の場合、自分の子どもについてすらそうです。のんきな話題で恐縮ですが、「はやくしなさい!」などと気短なことばを発するような日常の場面でも、相手を受け入れること、相手に価値を見出すことがどれほどできているかを試されているように思えるのです。

 

 皆さんは、子どもに対して「はやくしなさい!」と、きつく言うことはありませんか。(以前、幼稚園の先生が、園児の母親たちに対するお話の中で、「お母様方のおっしゃる『はやくしなさい!』」に言及したとき、聴いていた人の多くが、覚えがあるということでしょう、恥ずかしそうに笑っていました。)「はやくしなさい!」はいろんな場合に発しうることばですから、それがよいかわるいかは、場面や、そのときの双方の心持ちなどによりけりでしょうが、私の場合、能のない対処をしてしまった、他に言いようがあったのではないかと反省することを繰り返してきたことばの一つです。

 

 たとえば、時間がないのに、身支度が遅かったり、食べるのが遅かったりするときです。その気になればはやくできるのに、なかなか済まないのです。

ある朝、食卓を囲んでいるときのことです。子どもの茶碗のご飯がなかなか減らない。このままでは登校時間までに食べ終わらない、ちゃんと食べないと体に悪い、という思いが込み上げてきたとたん、「はやくしなさい!」。それでも悠然としている子どもにいらだって、大声でまた「は・や・く・し・な・さい!」。すると、子どもは「『はやくしなさい!』っていわないで!!もー!!本当にいやだ」とびっくりするほどの強い声で叫びました。こちらは、聞き入れない子どもに、おとなげなくもカッとなって「『「はやくしなさい!」っていわないで!!』なんて言ってないで、はやくしなさい!!!」。この「!」の増幅過程をたどるのは本当に能がありません。この言い回しを何重にも重ねてみせて笑わせることはできましたが、それが何になるでしょう。

 

 日頃、愛情が伝わっていれば、こんなことも長い目で見れば意味をもちうるのか、それとも、こんなことばより、あとでおなかがすいたとか、疲れたとかの苦痛を本人自身に経験させ、そこから自発的にはやくするよう努力するのを(促しつつ)待つべきなのか、あるいは、また他の道がよいのか、いかがなものでしょう。

 

 幸い、上のような場面では、たいてい妻のほうは冷静で、うまく対応してくれるので、その直後には、子どもと仲良く「行ってきま〜す」と家を出ることができますし、後でどうするべきだったか話し合うこともできるのですが、もし子どもと一対一だったらどうなっていただろうとも思います。このようなことは「はやくしなさい!」に限ったことではないので、情けないことです。

 

 能のない一言はいまだによく言ってしまうのですが、そのたびにどうしたらよいものかと考えないではいられません。9月5日のコラムで、家庭教育アドバイザーの和田さんが「『もし自分が夫や親に、自分の言動を訂正されるとしたら、どんな風に言われたら相手の考えを気持ちよく受け入れ、言動をあらためるだろうか。』と考えながら子どもに接しています」と書かれているのを読みますと、その心掛けの大切さが痛いほどわかる気がします。しかし、そのことを普段から意識していても、また言ってしまいそうでもあります。

 

 8月22日のコラムで、同じ家庭教育アドバイザーの丸山さんが書かれていたことも、強く心に刻まれました。高校入試の面接で「将来の夢は何ですか?」と問われたのに対し、胸を張って「私の夢は専業主婦になることです!」と答えたところ面接官に苦笑いされたが、お父様は「それは立派な夢だね」と褒めてくれ、そのことを鮮明に覚えている、というお話です。お父様が子の思いをしっかりと受け止め、その価値を理解し認めてくださったということですね。

 以前、私の娘は、幼稚園年長組のとき(ですから丸山さんのように自覚をもっての発言ではないですが)「将来の夢」を順番に言わされた際、「子どもを育ててお母さんのようにやさしい人になりたいです」と答えたところ、多くのお友だちから「そういうのは将来の夢じゃない」と批難されたそうです。そのとき先生がきっぱりと「それは立派な夢ですよ」と言って褒めてくださったそうです。この話を聞いたとき、私がどう思ったか、父親として何を言ってやれたかを、丸山さんのコラムを読んで思い返しました。

 

 私は、八洲学園大学家庭教育専攻に教員として在職していますが、専門は倫理学で(倫理学においても家庭・家族は重要なテーマだと私はかねてより考えており、その分野における家庭・家族論を多少とも勉強してはきましたが)、「家庭教育」の実際問題に直面して、いえること・なしうることがどれほどあるかと問われれば、お恥ずかしいかぎりです。私としては、本協会員のことばに耳を傾け、自らの経験を省み、また諸事例を参照しつつ、家庭教育に関して少しずつ研鑽を積んでいきながら、広く社会における家庭教育支援という、家庭教育アドバイザー・家庭教育師の担おうとしている、大変だけれど重要な活動に協力していきたいと思っています。

2011919

理 事

八洲学園大学教授

 石井雅之


家庭教育について思うこと

  家庭は子供が生まれ育つ中で最初に学べる場所である。

子供を育てながら、他の家庭や子供達を見て思うのですが、挨拶ができる子と出来ない子 家に来て靴を揃えて脱ぐ子等、様々な子供がいる事が判ります。

 このことばかりではありませんが、子供の態度などから

その子供たちの家庭での躾、などが外にでると歴然と見えてきます。

勉学も必要な事ですが、人間としての躾も必要なのではないかと思いました。

 
家庭での躾は、親の役目だと思います。しかし、親でも躾が判らなければ子供に対して躾けることが出来ません。
 子供は、親の姿勢を見て育ちます。子供を見れば親の姿勢が判りまたその逆も判ると言われていますが、大体その様になっている事が子育てをしていくうちに判ってきた事です。

 
子供は、親の悪いところも良い所も関係なく真似をします。

 
子育ては、親も一緒に学ぶ事が必要になります。
 
初めから全てが、判っている人はいないと思います。
 
子供が、やったことに対しておかしいと思ったら、自分でもその行動はやらないように
心がけ、子供に教えてあげることが必要です。

 
家庭教育は、とても奥の深いものです。
 
家庭教育の正解は、あるようで無いと思います。様々な家庭があり人がいるように
様々な,事例があってもおかしくありません。
 家庭では、子供たちが幸せに成るように育て、社会に出る為の初めの段階です。

 
私は、家庭教育の在り方を多くの人に広めていきたいと思っています。

自己紹介

家庭教育師・家庭教育アドバイザー

足利市在住、夫、と2人で暮らしています

(長女・大学4年、次女・大学2年)大学の寮生活

腰部・胸部固定対の製造販売の会社を経営しています

私の仕事は、主に経理事務です。


2011年9月12日
理事
家庭教育アドバイザー
青山利江


家庭教育について思うこと

  私が家庭教育に関心を持ったのは、今から16年前、娘の妊娠がきっかけでした。初めての子育てに、未熟な自分達夫婦が、新たな人間を育てていくことの不思議さ・面白さ・偉大さ・責任感等にわくわくしたことを、今でも鮮明に覚えています。

 その当時、子育てとは何が大事でどうすればいいのか、更には家庭教育・学校教育・社会(地域)教育についても何も知りませんでした。まずは仕事の手順を参考に「子ども」「人間の成長」をキーワードに書籍や育児雑誌をたくさん読み勉強しました。学ぶにしたがい私の関心は、子育ての方法によって人間の成長そのものが違ってくるようだと感じ始め、よりよい子育ての方法(手段)を知りたいと強く願うようになったのです。

 気持ちの上では最適な子育てを実践したかったのですが、日々の私の子育ては、問題が生じる度に解決していくという対処型の子育て方法でした。
 「これは何か違う…問題が起こってから対処するのではなく、問題がおきないように事前に(親として)準備したい…」こんな疑問を持ちながらも、その策が見つからぬまま、私は両親をはじめ先輩ママである友人や書籍に子育てを学びながら、楽しい子育てをしていました。
 八洲学園大学で家庭教育を学び、家庭教育アドバイザー資格を頂戴して研究と活動を行っている現在の考えとは、それはそれはほど遠いものであったように思います。

 今から思いますと、私の子育ては、社会的なマナーをきちんと身に着けさせることに始まり、道徳心を育成すること、そしてたくさんの知識をいち早く身に着けさせるべく、江戸時代の武士の家庭のように、子どもの在り方を家訓に定めたりして、親が望む人間像に子どもを当てはめる教育をしていたように思います。
 子どもの人生の道筋は、私達親が決めるのが最適と考えていたのです。

 子育ての転機は、八洲学園大学に入学し、家庭教育を学び始めた頃です。
 子育てで最も大切であることは、子どもがたくさんの知識を身につけることでもイイ子に育てることでもなく「子どもそのものを認めた家庭教育をすること」であると気付き、子育ての仕方が、親である私主体から、子ども主体へと変わっていきました。

 どの親も、わが子に対して「一人前の社会人になって社会貢献して欲しい」「私達親が死んだ後でも、生きていけるように、社会性と知恵と経済力を身につけさせたい」と願いながらも、社会の厳しさを知る身としては、甘えは禁物といわんばかりに、子どもについ厳しく接してしまったり、経験知の少ない子どもの意見は採用せず、親の考え通りになんとか人生を歩ませようとしがちです。
 厳しさの裏に隠された「誰よりも幸せになって欲しい」と願う親心を知る由もない子どもには、私達親がコミュニケーションをとる努力をしていかなければ、親心が伝わりづらいです。
 時には反抗や非行などの問題行動に繋がったり、親である私達が、子どもの反抗的な態度にイライラしたりと、悪循環に陥ってしまうこともあるのです。

 反抗や非行など親への反発が、全ていけないこととは思いませんが、できれば親の接し方に端を発する悪循環は断ち切り、互いの意見をスムーズに交換できる信頼関係を築きたいものです。
 
 
その為には何をすればよいのでしょうか。

 私は「家庭教育」でもっとも大切なことは「子どもの承認」であろうと思います。
 人は何歳であっても、自分を他人から認めて欲しいものです。年端のいかない子どもであれば尚更のことです。自分の考えを親に受け止めてもらえた時の安心感は、子どもの心に自信を育てますし、自分を認めてもらえば他人を認めることも知るでしょう。
 立派な社会人に育てる為に厳しく指導することだけが、最適な家庭教育ではないと、私は思います。厳しくしなくても物事の善悪判断は身に付き、社会性のある子どもは育っています。

 子どもの言動を受け入れ、望ましくない行動があれば、それだけを訂正すればいい。これは家庭教育アドバイザーとして、たくさんの親子の問題を一緒に解決してきた私の実体験に基づく考えです。

 私達日本人は、ほめたり認めたり、親子でスキンシップをすることが少し苦手です。ですから私は「もし自分が夫や親に、自分の言動を訂正されるとしたら、どんな風に言われたら相手の考えを気持ちよく受け入れ、言動をあらためるだろうか。」と考えながら子どもに接しています。

 是非今日から子どもを承認する姿勢で対話してみてください。きっと子どもの言動が変わってくると思います。

 最後に、これからも家庭教育アドバイザーとして、個人教室や塾・幼稚園・小中学校・企業などとタッグを組んで、親御さんが抱える様々な問題(しつけや受験・不登校問題など)の相談にのれる「隣のおばさん的な存在」でいられる様、家庭教育以外の学問へも関心を広げながら、
勉強を続けていきたいと思います。

 
そして日本の将来を担う子ども達に対して、各家庭で行える人間教育を追求し、家庭教育の必要性重要性を訴えていきたいと思います。

2011年9月5日

副理事長
家庭教育アドバイザー

和田みゆき


子育てサロン「家庭倶楽部」主宰
(学)八洲学園理事

日本家庭教育学会理事

NPO法人いばしょづくり理事:http://www.ibasyo.jp/

ブログ:http://ameblo.jp/miyuki-lifestyle/