家庭教育支援協会
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「受け入れる」ということ

 まず愛をもつこと、そして相手を無条件に受け入れ、また相手の特性に価値や意義を見出すこと。相手に対する批判は、これらが先にあってこそ価値をもつ。

 

 これは、百年も前にある人が異文化とその中で生きる人たちに対する姿勢としてどんなことが大事かを語ったことばを要約したものです(ただし「相手」としたところは元は国と国民の名称です)。異なった性格や能力や習慣をもつ他者に対する態度一般に当てはまることにように思えて、印象に残っています。

 

 しかし、もし上のことばに一理ありとしても、その姿勢が実際にはどのようなことばや行動にあらわれることになるかについては、単純に答えが出てくるものではありません。愛をもつこと、無条件に受け入れること等は、けっして内面だけの問題ではなく、ことばや行動が伴うことを要求するのではないでしょうか。

 

 「愛をもって相手にかかわっている」「相手をまるごと受け入れている」あるいは「相手の思いを受け止めている」つもりであっても、本当にそうすることができているといえるのかわからないときがあります。

 

 私の場合、自分の子どもについてすらそうです。のんきな話題で恐縮ですが、「はやくしなさい!」などと気短なことばを発するような日常の場面でも、相手を受け入れること、相手に価値を見出すことがどれほどできているかを試されているように思えるのです。

 

 皆さんは、子どもに対して「はやくしなさい!」と、きつく言うことはありませんか。(以前、幼稚園の先生が、園児の母親たちに対するお話の中で、「お母様方のおっしゃる『はやくしなさい!』」に言及したとき、聴いていた人の多くが、覚えがあるということでしょう、恥ずかしそうに笑っていました。)「はやくしなさい!」はいろんな場合に発しうることばですから、それがよいかわるいかは、場面や、そのときの双方の心持ちなどによりけりでしょうが、私の場合、能のない対処をしてしまった、他に言いようがあったのではないかと反省することを繰り返してきたことばの一つです。

 

 たとえば、時間がないのに、身支度が遅かったり、食べるのが遅かったりするときです。その気になればはやくできるのに、なかなか済まないのです。

ある朝、食卓を囲んでいるときのことです。子どもの茶碗のご飯がなかなか減らない。このままでは登校時間までに食べ終わらない、ちゃんと食べないと体に悪い、という思いが込み上げてきたとたん、「はやくしなさい!」。それでも悠然としている子どもにいらだって、大声でまた「は・や・く・し・な・さい!」。すると、子どもは「『はやくしなさい!』っていわないで!!もー!!本当にいやだ」とびっくりするほどの強い声で叫びました。こちらは、聞き入れない子どもに、おとなげなくもカッとなって「『「はやくしなさい!」っていわないで!!』なんて言ってないで、はやくしなさい!!!」。この「!」の増幅過程をたどるのは本当に能がありません。この言い回しを何重にも重ねてみせて笑わせることはできましたが、それが何になるでしょう。

 

 日頃、愛情が伝わっていれば、こんなことも長い目で見れば意味をもちうるのか、それとも、こんなことばより、あとでおなかがすいたとか、疲れたとかの苦痛を本人自身に経験させ、そこから自発的にはやくするよう努力するのを(促しつつ)待つべきなのか、あるいは、また他の道がよいのか、いかがなものでしょう。

 

 幸い、上のような場面では、たいてい妻のほうは冷静で、うまく対応してくれるので、その直後には、子どもと仲良く「行ってきま〜す」と家を出ることができますし、後でどうするべきだったか話し合うこともできるのですが、もし子どもと一対一だったらどうなっていただろうとも思います。このようなことは「はやくしなさい!」に限ったことではないので、情けないことです。

 

 能のない一言はいまだによく言ってしまうのですが、そのたびにどうしたらよいものかと考えないではいられません。9月5日のコラムで、家庭教育アドバイザーの和田さんが「『もし自分が夫や親に、自分の言動を訂正されるとしたら、どんな風に言われたら相手の考えを気持ちよく受け入れ、言動をあらためるだろうか。』と考えながら子どもに接しています」と書かれているのを読みますと、その心掛けの大切さが痛いほどわかる気がします。しかし、そのことを普段から意識していても、また言ってしまいそうでもあります。

 

 8月22日のコラムで、同じ家庭教育アドバイザーの丸山さんが書かれていたことも、強く心に刻まれました。高校入試の面接で「将来の夢は何ですか?」と問われたのに対し、胸を張って「私の夢は専業主婦になることです!」と答えたところ面接官に苦笑いされたが、お父様は「それは立派な夢だね」と褒めてくれ、そのことを鮮明に覚えている、というお話です。お父様が子の思いをしっかりと受け止め、その価値を理解し認めてくださったということですね。

 以前、私の娘は、幼稚園年長組のとき(ですから丸山さんのように自覚をもっての発言ではないですが)「将来の夢」を順番に言わされた際、「子どもを育ててお母さんのようにやさしい人になりたいです」と答えたところ、多くのお友だちから「そういうのは将来の夢じゃない」と批難されたそうです。そのとき先生がきっぱりと「それは立派な夢ですよ」と言って褒めてくださったそうです。この話を聞いたとき、私がどう思ったか、父親として何を言ってやれたかを、丸山さんのコラムを読んで思い返しました。

 

 私は、八洲学園大学家庭教育専攻に教員として在職していますが、専門は倫理学で(倫理学においても家庭・家族は重要なテーマだと私はかねてより考えており、その分野における家庭・家族論を多少とも勉強してはきましたが)、「家庭教育」の実際問題に直面して、いえること・なしうることがどれほどあるかと問われれば、お恥ずかしいかぎりです。私としては、本協会員のことばに耳を傾け、自らの経験を省み、また諸事例を参照しつつ、家庭教育に関して少しずつ研鑽を積んでいきながら、広く社会における家庭教育支援という、家庭教育アドバイザー・家庭教育師の担おうとしている、大変だけれど重要な活動に協力していきたいと思っています。

2011919

理 事

八洲学園大学教授

 石井雅之


家庭教育について思うこと

  家庭は子供が生まれ育つ中で最初に学べる場所である。

子供を育てながら、他の家庭や子供達を見て思うのですが、挨拶ができる子と出来ない子 家に来て靴を揃えて脱ぐ子等、様々な子供がいる事が判ります。

 このことばかりではありませんが、子供の態度などから

その子供たちの家庭での躾、などが外にでると歴然と見えてきます。

勉学も必要な事ですが、人間としての躾も必要なのではないかと思いました。

 
家庭での躾は、親の役目だと思います。しかし、親でも躾が判らなければ子供に対して躾けることが出来ません。
 子供は、親の姿勢を見て育ちます。子供を見れば親の姿勢が判りまたその逆も判ると言われていますが、大体その様になっている事が子育てをしていくうちに判ってきた事です。

 
子供は、親の悪いところも良い所も関係なく真似をします。

 
子育ては、親も一緒に学ぶ事が必要になります。
 
初めから全てが、判っている人はいないと思います。
 
子供が、やったことに対しておかしいと思ったら、自分でもその行動はやらないように
心がけ、子供に教えてあげることが必要です。

 
家庭教育は、とても奥の深いものです。
 
家庭教育の正解は、あるようで無いと思います。様々な家庭があり人がいるように
様々な,事例があってもおかしくありません。
 家庭では、子供たちが幸せに成るように育て、社会に出る為の初めの段階です。

 
私は、家庭教育の在り方を多くの人に広めていきたいと思っています。

自己紹介

家庭教育師・家庭教育アドバイザー

足利市在住、夫、と2人で暮らしています

(長女・大学4年、次女・大学2年)大学の寮生活

腰部・胸部固定対の製造販売の会社を経営しています

私の仕事は、主に経理事務です。


2011年9月12日
理事
家庭教育アドバイザー
青山利江


家庭教育について思うこと

  私が家庭教育に関心を持ったのは、今から16年前、娘の妊娠がきっかけでした。初めての子育てに、未熟な自分達夫婦が、新たな人間を育てていくことの不思議さ・面白さ・偉大さ・責任感等にわくわくしたことを、今でも鮮明に覚えています。

 その当時、子育てとは何が大事でどうすればいいのか、更には家庭教育・学校教育・社会(地域)教育についても何も知りませんでした。まずは仕事の手順を参考に「子ども」「人間の成長」をキーワードに書籍や育児雑誌をたくさん読み勉強しました。学ぶにしたがい私の関心は、子育ての方法によって人間の成長そのものが違ってくるようだと感じ始め、よりよい子育ての方法(手段)を知りたいと強く願うようになったのです。

 気持ちの上では最適な子育てを実践したかったのですが、日々の私の子育ては、問題が生じる度に解決していくという対処型の子育て方法でした。
 「これは何か違う…問題が起こってから対処するのではなく、問題がおきないように事前に(親として)準備したい…」こんな疑問を持ちながらも、その策が見つからぬまま、私は両親をはじめ先輩ママである友人や書籍に子育てを学びながら、楽しい子育てをしていました。
 八洲学園大学で家庭教育を学び、家庭教育アドバイザー資格を頂戴して研究と活動を行っている現在の考えとは、それはそれはほど遠いものであったように思います。

 今から思いますと、私の子育ては、社会的なマナーをきちんと身に着けさせることに始まり、道徳心を育成すること、そしてたくさんの知識をいち早く身に着けさせるべく、江戸時代の武士の家庭のように、子どもの在り方を家訓に定めたりして、親が望む人間像に子どもを当てはめる教育をしていたように思います。
 子どもの人生の道筋は、私達親が決めるのが最適と考えていたのです。

 子育ての転機は、八洲学園大学に入学し、家庭教育を学び始めた頃です。
 子育てで最も大切であることは、子どもがたくさんの知識を身につけることでもイイ子に育てることでもなく「子どもそのものを認めた家庭教育をすること」であると気付き、子育ての仕方が、親である私主体から、子ども主体へと変わっていきました。

 どの親も、わが子に対して「一人前の社会人になって社会貢献して欲しい」「私達親が死んだ後でも、生きていけるように、社会性と知恵と経済力を身につけさせたい」と願いながらも、社会の厳しさを知る身としては、甘えは禁物といわんばかりに、子どもについ厳しく接してしまったり、経験知の少ない子どもの意見は採用せず、親の考え通りになんとか人生を歩ませようとしがちです。
 厳しさの裏に隠された「誰よりも幸せになって欲しい」と願う親心を知る由もない子どもには、私達親がコミュニケーションをとる努力をしていかなければ、親心が伝わりづらいです。
 時には反抗や非行などの問題行動に繋がったり、親である私達が、子どもの反抗的な態度にイライラしたりと、悪循環に陥ってしまうこともあるのです。

 反抗や非行など親への反発が、全ていけないこととは思いませんが、できれば親の接し方に端を発する悪循環は断ち切り、互いの意見をスムーズに交換できる信頼関係を築きたいものです。
 
 
その為には何をすればよいのでしょうか。

 私は「家庭教育」でもっとも大切なことは「子どもの承認」であろうと思います。
 人は何歳であっても、自分を他人から認めて欲しいものです。年端のいかない子どもであれば尚更のことです。自分の考えを親に受け止めてもらえた時の安心感は、子どもの心に自信を育てますし、自分を認めてもらえば他人を認めることも知るでしょう。
 立派な社会人に育てる為に厳しく指導することだけが、最適な家庭教育ではないと、私は思います。厳しくしなくても物事の善悪判断は身に付き、社会性のある子どもは育っています。

 子どもの言動を受け入れ、望ましくない行動があれば、それだけを訂正すればいい。これは家庭教育アドバイザーとして、たくさんの親子の問題を一緒に解決してきた私の実体験に基づく考えです。

 私達日本人は、ほめたり認めたり、親子でスキンシップをすることが少し苦手です。ですから私は「もし自分が夫や親に、自分の言動を訂正されるとしたら、どんな風に言われたら相手の考えを気持ちよく受け入れ、言動をあらためるだろうか。」と考えながら子どもに接しています。

 是非今日から子どもを承認する姿勢で対話してみてください。きっと子どもの言動が変わってくると思います。

 最後に、これからも家庭教育アドバイザーとして、個人教室や塾・幼稚園・小中学校・企業などとタッグを組んで、親御さんが抱える様々な問題(しつけや受験・不登校問題など)の相談にのれる「隣のおばさん的な存在」でいられる様、家庭教育以外の学問へも関心を広げながら、
勉強を続けていきたいと思います。

 
そして日本の将来を担う子ども達に対して、各家庭で行える人間教育を追求し、家庭教育の必要性重要性を訴えていきたいと思います。

2011年9月5日

副理事長
家庭教育アドバイザー

和田みゆき


子育てサロン「家庭倶楽部」主宰
(学)八洲学園理事

日本家庭教育学会理事

NPO法人いばしょづくり理事:http://www.ibasyo.jp/

ブログ:http://ameblo.jp/miyuki-lifestyle/


八洲学園大学で家庭教育の分野を学ぼうと思った理由

  私は、八洲学園大学課程教育課程に在籍し、近い卒業を目指してテンポアップしております。
 まだ皆様のように家庭教育支援の分野で活動もできておりませんので、これからの課題であり先輩方のご活躍を参考にさせていただこうという心積もりでいるところです。

 さて、今日は私が八洲学園大学で家庭教育の分野を学ぼうと思った理由をお話したいと思います。

 最初のきっかけとしては友人がうつ病になってしまったこと。
 聞かされて、うつの症状が出る前に相談をもらったり、気晴らしに遊びにでも誘ってもらえなかったことに正直そのときはショックでした。
 でも大きな苦しみほど、家族や友人など、親しいがゆえに相談できないこともあると思います。
そこで、近しい人たちの相談は受けられなくても、職業を通して同じような問題で苦しんでいる人たちの悩みを聞けないかと、はじめはカウンセラーになるべく勉強を始めました。

 しかし、勉強するほど何かが違うような気がしてなりません。
 自分も暑いのが苦手で、夏にはどうも情緒不安定になることがあるのですが、日常生活を送るには特に支障はありません。
 はたして日常生活を送れないほどに苦しんでしまう人たちと、どんな違いがあるのかを考えるようになりました。

 そして、育ち方はどうだろうかと考えるにいたりました。
 そこから、うつ病を直すのではなく、うつ病になりにくい人間に育てられないかと考えるように
なりました。
 もちろん本人の資質や必要以上にがんばってしまうこと息を抜けない真面目さ、うつ病になりたい閉塞感のある日常などいろいろな要素があると思います。
 しかし、昨今の状況として核家族化が顕著になっています。そこに問題を見出しました。

 ちなみに私の幼少期は、両親、祖父母、4人姉弟、の8人家族で、母親のお在所も近いので度々行っていました。母のお在所は農家です。畑で野菜を取ったりして、子どものことですから泥の付いた手で家に上がろうとして外で手を洗いなさいとおばあちゃんに怒られたり。
 ・・・話が逸れました。
 今ほどうつ病が市民権を得る前は、多くの家庭が私のように大家族で、生きる力や家族みんなで育ちあうことは普通のことでした。

 しかし核家族化は特に都市部では後戻りできないところまで進行しています。
 核家族化している社会でも、少しでも多くの大人に影響されて育てられ、物事をいろいろな角度から見られるように、我慢しすぎないように、ストレスに強くなるように、逃がせるようにならないか。これらを子どもの頃に身につけておくことが、将来子どもが大人になって心身を守る最大の武器ではないか、それを自然に行えるように根っこのところを育ててやれるのは親(養育者)しかないではないか。その思い付きを確認して、役立てられたらと、入学し今までやってきました。

 長々と申し上げてきましたが、大人の意識を変えれば大人も子どもも生きやすくなる。
 子どもが生きやすい社会は大人も生きやすい。
 野望は大きいですが、こつこつとやっていけたら、と思っています。

2011年8月29日
幹事    
田光 江実子


変わらない夢と新しい夢

  みなさま、はじめまして。

 今回は私の忘れられないエピソードを交えながら、家庭教育に対する思いを綴らせていただきます。

 それは、高校の推薦入試で面接を受けた時のことです。いくつかの質問の後、面接官から「将来の夢は何ですか?」と聞かれた私は、胸を張ってこう答えました。「私の夢は専業主婦になることです!」。すると、複数いた面接官たちは「専業主婦???」と皆びっくりした表情や苦笑いを浮かべていました。私は予想外の反応をされたので、何かまずいことでも言ったかしら?と不安になりました。今から思えば、おそらく面接官たちは「教師になりたいです」とか「人の命を救う仕事がしたいです」
といった答えを期待していたのでしょう。まして、女性も社会に積極的に進出しているこの時代に、専業主婦を夢見る中学生がいるなんて…。驚くのも無理はなかったのかもしれません。でもその時の、「専業主婦になりたい」発言は本心から出たものでした。
 帰宅して、面接でのやりとりを父に報告すると、面接官の残念そうな反応とは違い、「専業主婦になりたいと言ったのか!それは立派な夢だね。」と褒めてくれたのを今でも鮮明に覚えています。
 専業主婦の母のもとで育った私は、日々家族のサポートをする姿が当たり前に映っていたのでしょう。いつか自分も家族のためにご飯を作ったり、掃除や洗濯をする生活をしたいと思うようになっていました。また、この頃から家族や家庭への関心も自然に寄せるようになっていた気がします。

 あれから十何年。大学で家族社会学や家庭教育を学び、社会に出て少しは現実も見えてきた私は、「何が何でも専業主婦!」にこだわらなくなりましたが、自分の家庭を築きたい、家族のために生きたい、という根本的な気持ちはずっと変わっていません。(ちなみに、パートナー探しは現在進行中です。)
 そして、今はそれだけにとどまらず、家庭教育の大切さを知ってほしい、ひとつでも多くの家庭を幸せにするお手伝いがしたい、という思いが強くなっています。家庭教育支援協会を通して、こうした夢を実現できればいいな、と思う今日この頃です。

2011年8月22日

幹事
家庭教育アドバイザー
丸山 美輪子